下されましたところの、密勅《みっちょく》の写しを手に入れて、吉之助様のお手へお渡しになったりして、国事にご奔走なさいましたところの、ご上人様のご身辺も危険になられました。それを近衛様がご心配あそばされ、吉之助様にお頼みになり、ご上人様をどこへなと安全なところへ、お隠匿《かくま》いなさろうとなされましたので。最初はご上人様の知己《みより》の多い、奈良へでもということでございましたが、意外に捕吏の追求が烈しいので、薩摩へということになったのでございます。
 竹田街道の立場茶屋《たてばぢゃや》の変事も、何事もなく済みまして、無事わたしたちは伏見《ふしみ》に着きました。それから船で淀川を下り、夕刻大坂の八|軒屋《けんや》に着き、上仲仕《かみなかし》の幸助という男の家へ、ひとまず宿《やど》をとりました。わたしたちが大坂におりましたのは、二十四日まででありましたが、この間に鵜飼《うがい》吉左衛門様や、そのご子息の幸吉様や、鷹司《たかつかさ》家諸太夫の小林|民部輔《みんぶのすけ》様や、同家のお侍|兼田《かねだ》伊織様などという、勤王の方々が幕府の手により、続々捕縛されまして、ご上人様追捕の手も厳しくなったという、そういう情報がはいりましたので、これはうかうかしてはいられないというので、その夜のうちに薩摩へ向けて立とうと、土佐堀の薩州邸下から小倉船に乗り、漕ぎ出すことにいたしました。一行はご上人様と吉之助様と、俊斎様と私とのほかに、薩州ご藩士の北条右門様との、この五人でございまして、三人のお方が駕籠を警護し、私だけが半町ほど先に立って、あたりの様子をうかがいながら、纜《もや》ってある船の方へ行きました。おりから晴れた星月夜で、河岸の柳が川風に靡《なび》いて、女が裾でも乱しているように、乱れがわしく見えておりましたっけ。と、一|木《ぼく》の柳の木の陰から、お高祖頭巾《こそずきん》をかぶった一人の女が、不意に姿をあらわしまして、わたしの方へ歩いてまいりましたが、
「重助さん、ご苦労だねえ」と、こう云ったではありませんか。
 わたしはハッとなりドキリとして、早速には言葉も出ませんでした。
「あのお方の手、綺麗だねえ」
「…………」
「綺麗な手のお方をお送りして、重助さん遠くへ行くんでしょう」
「…………」
「だからご苦労と云っているんだよ」
「女ってもの変なものでねえ、男の何んでもないちょっと[#「ちょっと」に傍点]したことに、くたくたになってしまうものさ。たとえばその人の足の踵《かかと》が、桜貝のような色をしていたというので、旦那をすててその人と逃げたり、その人が笑うと糸切り歯の端《はし》が、真珠のように艶《つや》めくというので、許婚《いいなずけ》をすててその人と添ったり、おおよそ女ってそんなものだよ。……あの人のお手、綺麗だねえ」
「…………」
「八百八狸も名物だけれど、でも四国にはもっと凄いものが、名物となっている筈だよ。犬神《いぬがみ》だアね、犬神だアね」
「…………」
「でも犬神もこんなご時勢には、ご祈祷《きとう》ばかりしていたんでは食えないのさ……。犬の字通り隠密《いぬ》にだってなるのさ。……取っ付きとさえ云われている犬神、こいつが隠密《いぬ》になったひにゃア、どんな獲物だって逃がしっこはないよ」

        四

 わたしとその女とは突っ立ったままで、話しているのではありませんでした。わたしが河岸《かし》の方へ歩いて行くので、その女が従《つ》いて来て、そう小声で話しかけるのでした。
「でもねえ」とその女は云いつづけました。「そういう女が裏返ると、かえって力になるものでねえ。……綺麗なあの手に触れてからというもの、わたしは、そうさ、犬神の娘は。……それはそうと、ねえ重助さん、向こうにどんな奴が集《たか》っていたって、船頭の奴らが何をごて[#「ごて」に傍点]ようと、心配はいらないからそう思っていておくれ。……それからねえ重助さん、わたしたちのお仲間犬神の者は、四国は愚《おろ》か九州一円に、はびこっているんだから安心しておくれ。福岡にであろうと薩摩にであろうと。……じゃア重助さんさようなら、折りがあったらわたしのことを、手の綺麗なお方へおっしゃっておくれよ。……でも重助さん解ったかしら? わたしって女誰だかわかって?」
「へい、竹田街道の立場茶屋で。……」
「ああそうさ、あの時の女さ。……では重助さんさようなら」
 こういうとその女は私からはなれて、先へ小走って行ってしまいました。
(このことは吉之助様や俊斎様へ、お話した方がよいだろうか? それとももう少し封じておこうか?)と、思案のきまらない心持ちで、私はノロノロ歩いて行きました。
 するとすぐに駕籠に追いつかれました。
 距離がはなれていたためか、私とその女とが話していたことが、吉之助様たちには解らなかったらしく、どなたも何んともおっしゃらなかったので、わたしも黙っておりました。
 わたしたちは進んで行きました。
 すると柳の老木があって、濃い影を地に敷いておりましたが、そこに十数人の人がいて、こっちをじっ[#「じっ」に傍点]と窺っていました。それがどうやら捕吏らしいのです。
「どうしよう?」と俊斎様が囁かれました。
「かまわん」と吉之助様がおっしゃいました。
「船はもう眼の先にある。面倒になったら叩っ切れ」
「斬ってはならんとおはん[#「おはん」に傍点]申したが。……」
「時と場合じゃ、今はよか。……斬り払って上人を船に乗せるのじゃ。乗せてしまえばこっちのものじゃ」
「斬りたいの。久しく斬らん」
「そういう心がけで斬ってはよくない」
「フ、フ、フ、なるほどそうか」
 捕吏らしい人影の前まで来ました。
 にわかにそいつらが動き出し、五、六人が飛び出そうといたしました。
 するとさっきの女の声でした。
「妾アお供の露払《つゆはら》いの奴に、たった今謎をかけて確かめてみたのさ。人違いだよ捨てておきな。駕籠の中にいるなア女だよ」
 地面に近い二尺ばかりの宙に、小指で朱を捺《お》したような赤い火が、ポッツリ光っておりましたっけ。例の女がしゃがみこんで、煙草《たばこ》を喫っていたんですねえ。
 とうとうわたしたちは船の纜《もや》ってある岸まで、無事に着くことが出来ました。
 そこでご上人様を駕籠から出し、真っ先に船へ乗せまして、わたしたちもつづいて乗りました。
「上人船へお寝なされ」
 そう吉之助様がおっしゃいました。
 云われるままにご上人様が、つつましく船底へ横になりますと、吉之助様は自分の羽織を脱がれ、その上へ素早くお着せになり、
「さあ船夫《かこ》いそいで船を出せ」
「駄目ですよ、出せませんねえ」
 と、不意に一人の船夫《かこ》が云って、
「なアおいお前《めえ》たちそうじゃアないか」と、仲間の方へ顔を向けました。
 するともう一人の若い船夫《かこ》が、
「こんな深夜に坊様を乗せて、船を出すとは縁起が悪い。そうともよ船は出せねえ」と、合槌を打つように云ったものです。
「黙れ」と俊斎様はお怒りになり、鋭いしかし窃《ひそ》めた声で、「ぐずぐず申すとその分には置かんぞ。これ早く船を出せ!」
 こうおっしゃって刀の柄へ、もう手をかけておられました。
 でも船夫たちはますます図太く、
「へえ、斬るとおっしゃるので。ところがあっしたち斬られませんねえ。水の上ならこっちが得手で、刀を抜いてお斬りになるのが早いか、あっしたちが水へ飛び込むのが早いか、物は験《ためし》だ、やってごらんなせえ」
「水へ飛び込んだらいよいよ得手だ、船なんかすぐにもひっくりかえして見せる」
 と、こう口々に云うのでした。
「よか、まアまアそう申すな」
 吉之助様は穏《おだや》かに云われて、小粒を三つ四つ懐中《ふところ》から出され、
「これで機嫌を直してくれ、約束の他の当座の酒手じゃ」と、なだめるように申したことです。

        五

 ところがどうでしょうそうあつかっても、船夫たちは云うことを聞こうとはしないで、
「酒手が欲しくて云っているのではごわせん、深夜《よふけ》に坊さんを乗せるってことが……」
「船に坊主は禁物でしてね」
「それに深夜《よふけ》の坊主と来ては……」
「坊主は縁起が悪いんで」
 と、どうしたものかだんだん声高に、坊主坊主とそう叫んで、岸の上の方を見上げるのでした。
 さすがの吉之助様もこの様子を見られて、これはいけないと感じられたのでしょう、チラッと俊斎様へ眼くばせをされ、素早く刀の柄へ手をやられましたが、その時岸の上に女の姿があらわれ、
「船頭さん模様変えだよ、その人たちには用はないのさ。早く船を出しておあげ」
 と、綺麗な声で云うのが聞こえて来ました。申すまでもなく例の女なのです。ところがどうでしょうそう云われましても、
「姐《あね》ごのせっかくのお言葉ですが、あっしたちゃア姐ごに頼まれたんではなく……」
「藤兵衛の親分さんにご依頼受けたんですからねえ……」
「現在坊主が……」
 と口々に云って、船夫《かこ》たちは諾《き》こうとはしないのです。
「お黙り!」と女は癇にさわったような声で、「このお綱がいいと云ってるのだよ、そうさいいから船をお出しって……」
「しかし姐ご、現在坊主が……」
「餓鬼め!」
 とたんに女の片手が、髪の辺へ上がりました。
「ギャーッ」
 まるで獣《けだもの》の悲鳴でした。
 最初から頑強に反対していた船夫の、三十五、六の肥り肉《じし》の奴が、そう悲鳴して顔を抑えましたが、体を海老《えび》のように曲げたかと思うと、船縁《ふなべり》を越して水の中へ真っ逆様に落ち込みました。わたしの見誤りではありません、その男の左の眼から銀の線のようなものが、星の光にキラキラ光って、突き出されているのが見えたことです。小柄かそれとも銀脚の簪《かんざし》か? いまだにわたしには疑がわしいのですが。
「出せ船を!」
「出さねば汝《おのれ》ら!」
「同じ運命だぞ、命がないぞ!」
 見れば吉之助様と俊斎様と、そうして北条右門様とが、抜き身を差しつけ船夫たちを取り巻き、そう叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]しておられました。
 グ――ッと船は中流へ出ました。

 茅渟海《ちぬのうみ》の真ん中へ出ました時、ご上人様は一首の和歌をしたため、吉之助様へお目にかけました。
[#ここから2字下げ]
難波江《なにはえ》のあしのさはりは繁くともなほ世のために身をつくしてむ
[#ここで字下げ終わり]
 こういう和歌でございます。上《かみ》は御大老井伊直弼様の圧迫、下《しも》は捕吏だの船夫《かこ》などの迫害、ほんとにご上人様のご一生は、さわりだらけでございました。
 さてわたしたちを乗せた小倉船は、八昼夜を海上についやしまして、事《こと》なく下関《しものせき》へ着きましたので、とりあえず薩摩の定宿の、三浦屋というのへ投じました。十月一日の午後のことでございます。その翌日でありましたが、「藩の事情を探らねばならぬ」と、このように吉之助様は仰せられ、薩摩へ向かってご発足なされました。それから幾日か経ちました時に、俊斎様はご上人様を連れられ、竹崎の地へおいでになり、同志の白石正一郎様のお家《うち》に、しばらくご滞在なさいましたが、さらに博多に移りまして、藤井良節様という勤王家のお屋敷へ、お隠匿《かくま》いなさいましてございます。そうしてご自身におかれましては、吉之助様のご返辞の遅いのを案じて、薩摩へ帰って行かれました。
 どうでしょうこの頃になりますると、ご上人様追捕の幕府の手が、いよいよ厳しくなりまして、行くところに捕吏らしい者の姿が、充ち充ちておるというありさまであり、その人相書も各地に廻されていて、これを捕えて申し出る者には、恩賞は望みに任すとまでの布令《ふれ》が、発布されておるというありさまなのでございます。それでご上人様におかれましては、博多の地に滞在しておられましても、福岡ご城下の高橋屋正助という、侠商の別荘にひそんだり、斗丈翁《とじょうおう》という有名な俳人の、五|反麻《たんま》と
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