敷でございます」と、浪之助はお長屋の一軒の前で立った。
二百石取りか三百石取りか、相当立派な知行取りの、お長屋であることは構えで知れた。
板塀が高くかかってい、その上に植込みの槇や朴が、葉を茂らせてかかってい、その葉がこれも月の光に燻銀《いぶしぎん》のように薄光っていた。
「表門の方へ廻って見ましょう」
こう云って要介が先に立ち、二三間歩みを運んだ時、消魂《けたたま》しい叫声が邸内から聞こえ、突然横手の木戸が開き、人影が道へ躍り出た。
一人の武士が白刃を下げ、空いている片手に一人の女を、横抱きにして引っ抱えてい、それを追ってもう一人の武士が、これも白刃を提《ひっさ》げて、跣足《はだし》のまま追って出て来た。
「汝《おのれ》! ……待て! ……極重悪人」
追って出た若い武士の叫びであった。
「お兄様! ……お兄様!」
抱えられている娘は悲鳴をあげた。
「陣十郎だ!」とその瞬間、要介は叫んで足を返した。
娘を抱えている武士が紛う方もない、水品陣十郎であるからであった。
陣十郎は躊躇したらしく、一瞬間立ち止まった。
背後《うしろ》から若い武士が追って来る、行手には二人の武士がいる。何方《どこ》へ走ろうかと躊躇したらしい。
そこへ追いついた若い武士は、
「父上の敵《かたき》、くたばれ悪漢!」
声諸共切り込んだ。
「切れ――ッ」と差し出したのは娘の躰《からだ》!
「あッ」とばかりあやうくも、白刃を三寸の宙で止め。
「人楯とは汝《おのれ》卑怯者!」
「お兄様お兄様|妾《わたし》もろとも、陣十郎を切ってお父様の敵を!」
叫ぶ娘の澄江《すみえ》をグッと、再び抱え込んだ陣十郎は、二人の武士に向い威嚇的に、白刃を振り廻し叱咤した。
「退け! 邪魔するな! 致さば切るぞ」
駆け抜けようとするその前へ、両手を拡げて要介は立った。
7
「眼《まなこ》眩《くら》んだか水品陣十郎! 拙者が見えぬか秋山要介だ!」
「なに秋山?」とタジタジ[#「タジタジ」は底本では「タヂタヂ」]としたが、
「いかにも秋山! ウ――ム南無三!」
「事情は知らぬが日頃の悪業、邪は汝《おのれ》にあるは必定! ここは通さぬ、組み止めるぞ! ……」
途端に背後の若い武士が叫んだ。
「我々兄妹はこの家の者、榊原家の家臣でござって、拙者は鴫澤主水《しぎさわもんど》と申し、妹儀は澄江と申す。それなる男
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