あった。
「猪之松」と鋭い声で云った。
「決闘《はたしあい》か? そうであろう!」
「…………」
 猪之松は頭を下げた。
「猪之松!」と又も多四郎は云った。
「決闘! それもよかろう! ……が決闘したその後において、一体どのような良いことが残るのか?」
「…………」
「決闘! 決闘……さてその結果は一人が死ぬ! ……そうだ一人は殺されるのだ! よくよくのことがなければのう、決闘などするものではない」
「…………」
「理由は何か、云ってみい」
「はい」と猪之松は神妙に云った。
「ここに居りまする林蔵の子分に、藤作と申するものがござりまするが、その者が、わたくしの賭場へ参り、乱暴狼藉いたしましたゆえ、私子分ども腹を控えかね、みんなして袋叩きにいたしましたところ……」
「賭場荒しが原因だな」
「はい、さようでござります」
「みんなして藤作を叩いたといえば、争いは五分々々というものだな」
「まあ左様でございますが……」
「では、どうしてお前たち二人、あらためてここで決闘などするのだ?」
「子分の怨みは上に立つ者の……」
「親分の怨みになるという訳か」
「そればかりでなく、ずっと以前から、林蔵と私とは犬猿もただならず……」


「そのような噂も聞いて居る、がその不和の原因も、要するに縄張りの取り合いとか、勢力争いだということではないか」
「はい左様にござります、が私共渡世人にとっては縄張りと申すもの大切でありまして……」
「一体誰から許されて、縄張りというようなものをこしらえたのじゃ?」
「…………」
「土地はお上、ご領主の物、それをなんぞや博徒風情が、自分の勢力範囲じゃの縄張りじゃのと申し居る」
「…………」
「一体お前たちは、何商売なのじゃ?」
「…………」
「無職渡世などと申しているが、お上で許さぬ博奕をし、法網をくぐって日陰において生くる、やくざもの[#「やくざもの」に傍点]、不頼漢ではないか!」
「…………」
「そういう身分のその方なら、行動など万事穏便にし、刃傷沙汰など決していたさず、謹しんでくらすのが当然じゃ! それをなんぞや決闘とは! ……猪之松、其方《そのほう》はわし[#「わし」に傍点]について剣道を学んだ者だった喃《のう》」
「お稽古いただきましてござります」
「では其方はわし[#「わし」に傍点]の弟子じゃ」
「申すまでもございません」
「直れ!」と多四
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