る」と浪之助は云った、仕方がないから云ったのであって、その実彼はそういわれたため、かえってその歌に含まれている意味を、解いてやろうと決心したくらいであった。
こういう問答をしているうちにも、今は血刀を拭い終えて、陣十郎の横手に佇んで、爪楊枝を噛みながら、二人の問答を上の空のように、平然と聞き流している、女の姿を観察した。
三十がらみの年恰好で、櫛巻に髪を結んで居り、絞りの単衣に黒繻子《くろじゅす》の帯、塗りの駒下駄を穿いている。腰の辺りに得も云われない、毒々しい迄の色気があった。顔は整いすぎるほど整っていたが、鼻がひときわ高かったので、ここで一点ぶちこわしていた。毒婦型に嵌まった凄艶の女! そう云えば足りる女であった。
パチリと女は腕《かいな》を打った。どうやら藪蚊が刺したらしい。左の腕の肩まで捲った。月光に浮いて見えたのは、ベッタリ刻られた刺青《いれずみ》であった。
(凄いな)と浪之助はヒヤリとした。
(陣十郎とはいい取り合わせだ)
「念の為に申し上げて置く」
重々しい。ねっとりとした。威嚇的の声で、陣十郎がその時云った。
「貴殿拙者に食言いたせば、ここに斃れているこの男のような、悲惨な運命となりましょう。よろしゅうござるかな、浪之助殿」
云い云い指で膏薬売をさした。
「…………」
無言でゴックリと唾を飲んで、ただ浪之助は頷いて見せた。
「よろしい、では、お別れいたす。……お妻《つま》行こう」
「あい、行きましょう」
月光の圏内から遁れ出て、二人は闇に消えてしまった。
小間使に下女に老婆に老僕に若党の五人を召使に持ち、広い庭を持った立派な屋敷に、気儘に生活《くらし》ている浪之助の身分は、なかなか悪くないと云ってよかろう。
翌日は昼頃までグッスリと寝、起きると物臭さそうに顔を洗い、小綺麗な小間使お里の給仕で、朝昼兼帯の食事をし、青簾《あおすだれ》を背後に縁へ出て、百合と蝦夷菊との咲いている花壇を、浪之助はぼんやり眺めながら、昨日《きのう》一日に起伏した事件を、どう統一したらよかろうかと、一つは暇、一つは興味、一つは自分の将来に、多少関係あるところから、ムッツリ思案しているところへ、
「旦那様、ご来客でございます」と、小間使が知らせて来た。
「誰だ?」と浪之助はうるさそうに云った。
「秋山要介様と仰せられました」
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泉水築山などのよく見える、
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