お連れなすって下さいまし、男の肌、男の匂い、男の力、男の意志《こころ》、それが欲しゅうござりますと、有仰《おっしゃ》ることでござりましょうよ。まあまあ出来るだけご随意に、強情をお張りなさりませ。強情が強ければ強いほど、要求も強くなりましょう。……そうしてお前様の要求が、強まれば強まるほど、関白様は喜ばれますので。……お前様は飛び付いて行きましょう。関白様は引っ抱えましょう。……それから幸福になりますので。はいはい、関白様もお前様も! ……これまで一度の間違いもなく、そうなったのでございますよ。ほんとにこれまで幾十人の娘が、この部屋の中へ入れられて、そうして愛慾の餓鬼となって、飛び出して行ったことでござりましょう。……でもお気の毒でござります。この部屋へ入って出て行って、愛慾を遂げた娘たちは、愛慾を遂げたその後では、九分九厘狂人になりました。一時に遂げた歓楽の力が、その人達を疲労させて、そうさせたのでござりましょう。……たしかお紅《べに》殿と有仰いましたな、お紅殿遠慮はいりませぬ。ご馳走をお食べなさりませ。風呂へお入りなさりませ、香水をお浴びなさりませ。床へお伏せりなさりませ。そうしてお眠りなさりませ。今夜が過ぎて明日にでもなったら、効験が現われるでござりましょう。……それでは妾《わたし》は他のお部屋の、他の女の人達を、見廻って来ることにいたしましょう」
 六十あまりの老婆である、脂肪肥りに肥っている。胡麻塩の髪の毛、刺のような鼻、おち窪んだ眼、皮肉な口、それが老婆の風采である。
 部屋の朦朧とした光に照らされ、妖怪じみて立っている。
 その部屋の様の艶妖なことよ! そうして異国じみていることよ!
 部屋の一所に浴槽があって、淡黄色の清らかな湯が、滑石の浴槽の縁をあふれて、床へダブダブとこぼれている。その傍らの壁の高所《たかみ》に、銀製の漏斗《じょうご》型の管があって、そこから香水の霧|水沫《しぶき》が、絶間なく部屋へ吹き出している。が、浴槽は呂宋《ルソン》織りらしい、男女痴遊の浮模様のある、垂布《タピー》の向う側にあるところから、ハッキリ見ることは出来なかった。更に部屋の一所に、一人寝の寝台が置いてあった。張られてあるのは天鵞※[#「糸+戊」、510−下−23]《びろうど》であって、深紅の色をなしていた。が、尋常の寝台ではなく、一度その中へ寝ようものなら、リズムをもって上下へ動き、寝ている人の愛慾を、自然にそそるように出来ていた。寝部屋の天井に描かれてあるのは、曲線ばかりの模様であった。
 …………
 そういう連想を見る人の心へ、起こさせるように出来ていた。
 が、その部屋もバタビヤ織りらしい、これも深紅の垂布によって、入口を蔽われているがために、ハッキリと見ることは出来なかった。
 お紅の坐っている部屋のつくりには、これといって特異なものはなかった。
 ただ天井から下っている、珊瑚と鋼玉と爐眼石とで、要所要所を鏤められた、朝顔型のアレジヤ龕が、朝顔型に琥珀色の光を、床の上へ一ぱいに投げていた、それの光に照らされて、幾個《いくつ》かの異国的の食器の類が、各自《めいめい》の持っている色と形とを、いよいよ美しく見せて居るのが、いちじるしい特色ということが出来る。
 尖形のギアマンの水注がある。そうしてその色は紫である。盛られているのは水だろうか? 喇嘛僧《らまそう》形の薬壺がある。そうしてその色は漆黒である。どのような薬が入っているのであろう? 錫製の椀には獣肉が盛られ、南京産らしい陶器の皿には、野菜と魚肉とが盛られてある。
 そういう器類を前にして、坐っているお紅の姿というものは、むごたらしい[#「むごたらしい」に傍点]までに取り乱していた。髪はほどけて顔へかかり、裾は乱れて脛《はぎ》を現わし、襟はひらけて乳房を見せ、一方の袖が引き千切れて、二の腕があらわに現われている。その腕を烈しく握られたからであろう、一所黒痣が出来ている。


さながら人魚

 お紅の心は乱れていた。思い乱れているのである。今日一日の出来事が、夢かのように思われてならない。
 ――秀次公の使者として、不破小四郎がやって来たこと、聚楽第《じゅらくだい》へやるまいと北畠一家が、最初はげしく争ったこと、とうとう聚楽第へ連れて来られて、眼を奪うような華やかさと、胆を冷すに足るような、荒淫な夜遊にぶつかったこと、秀次が自分を抱えたこと、それに対して抗ったこと、でもズルズルと引きずられたこと、その時懐刀の落ちたこと……最後に気絶をしたことなど……
「ここはどういう部屋なのであろう?」
 お紅は四辺《あたり》を見廻して見た。
 いつか老婆は立ち去ったと見えて部屋には誰もいなかった。
「まるで異国へでも来たようだよ」
 見る物が驚きの種であった。
「正気づいた時にはこの部
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