で、刺すように頼母を睨むばかりであった。
そういう主税を取り囲んで、まだ覆面を取らない五人の浪人は、すわといわば主税を切り伏せようと、刀の柄へ手をかけている。飛田林覚兵衛は例の気味の悪い、星の入っている眼を天眼に据えて、これも刀の柄へ手をかけながら、松浦頼母の横手から、主税の挙動を窺っていた。
部屋の気勢《けはい》は殺気を帯び、血腥い事件の起こる前の、息詰るような静寂《しずけさ》にあった。
「そうか」と頼母はやがて云った。
「物を云わぬな、黙っているな、ようし、そうか、では憂目を!」
覚兵衛の方へ顔を向け、
「こやつにあれ[#「あれ」に傍点]を見せてやれ!」
覚兵衛は無言で立ち上り、隣室への襖《ふすま》をあけた。
何がそこに有ったろう?
猿轡をはめられ腕を縛られ、髪をふり乱した腰元のお八重が、桔梗の花の折れたような姿に、畳の上に横倒しになってい、それの横手に蟇《ひき》かのような姿に、勘兵衛が胡座《あぐら》を掻いているのであった。
「お八重!」と思わず声を筒抜かせ、主税は猛然と飛び立とうとした。
「動くな!」と瞬間、覆面武士の一人が、主税の肩を抑えつけた。
「お八重、どうして、どうしてここへは※[#感嘆符疑問符、1−8−78] おおそうしてその有様は※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
お八重は顔をわずかに上げた。起きられないほど弱っているらしい。こっちの部屋から襖の間《あい》を通して、射し込んで行く幽かな燈の光に、蛾のように白いお八重の顔が、鬢を顫わせているのが見えた。猿轡をはめられている口であった。物云うことは出来なかった。
「お八重さんばっかりに眼をとられて、あっしを見ねえとは阿漕《あこぎ》ですねえ」
胡座から立て膝に直ったかと思うと、こう勘兵衛が冷嘲《ひやか》すように云った。
「見忘れたんでもござんすまいに」
「わりゃア勘兵衛!」と主税は叫んだ。
「死んだはずの勘兵衛が!」
「いかにも殺されたはずの勘兵衛で、へへへ!」と白い歯を見せ、
「あの時あっしア確かにみっしり[#「みっしり」に傍点]、締め殺されたようでござんすねえ。……殺そうとした奴ア解《わか》っていまさア。‥…あやめ[#「あやめ」に傍点]の阿魔《あま》に相違ねえんで。……あの阿魔以前からあっしの命を、取ろう取ろうとしていたんですからねえ。……取られる理由《わけ》もあるんですから、まあまあそいつア仕方ねえとしても、どうやらあっしというこの人間、あんなちょろっか[#「ちょろっか」に傍点]の締め方じゃア、殺されそうもねえ罪業者と見え、次の瞬間にゃア生き返って、もうこの通りピンピンしていまさあ。……そこでこの屋敷へ飛んで来て、淀屋の独楽を取らねえ先に、あやめ[#「あやめ」に傍点]の阿魔に逃げられたってこと、松浦様にご報告すると……」
「それでは汝《おのれ》も松浦頼母の……」
重ね重ねの意外の事件に、主税は心を顛倒させながら、嗄《しゃが》れた声で思わず叫んだ。
恋人が盗賊とは
「あたぼう[#「あたぼう」に傍点]よ、ご家来でさあ……もっとも最初《はな》は松浦様のご舎弟、主馬之進《しゅめのしん》様のご家来として、馬込の里の荏原《えばら》屋敷で……」
「喋舌《しゃべ》るな!」と叱るように一喝したのは、刀を杖のように突きながら、ノッソリと立ち上った頼母であった。
「お喋舌り坊主めが、何だベラベラと」
それから主税の側《そば》へ行った。
「主税」と頼母は横柄の態度で、主税を上から見下ろしたが、
「其方《そち》の恋女腰元八重、縛《いまし》められてこの屋敷に居ること、さぞ其方には不思議であろうな。……その理由明かしてとらせる! お館にての頻々たる盗難、……その盗人こそ八重であったからじゃ!」
「…………」
主税は無言で頼母を見上げた。余り意外のことを云われたので、その言葉の意味が受け取れず、で、呆然としたのであった。
「代々の将軍家より当田安家に対し下し賜わった名器什宝を、盗み出した盗人こそ、そこに居る腰元八重なのじゃ!」
驚かない主税をもどかしがるように、頼母は言葉に力を罩《こ》めて云った。
「…………」
しかし、依然として主税は無言のまま、頼母の顔を見上げていた。
と、静かに主税の顔へ、ヒヤリとするような凄い笑いが浮かんだ。
(この姦物め、何を云うか! そのような出鱈目を云うことによって、こっちの心を惑わすのであろう。フフン、その手に乗るものか)
こう思ったからである。
「主税!」と頼母は吼えるように喚いた。しかし、今度は反対《あべこべ》に、訓すような諄々とした口調で云った。
「女猿廻しより得たと申して、今朝|其方《そち》隠語の紙片と独楽とを、わしの許まで持って参り、お館の中に女の内通者あって、女猿廻しと連絡をとり、隠語の紙を伝《つて》として、お館内の名器什宝を、盗み出すに相違ござりませぬ。隠語の文字女文字にござりますと、確かこのように申したのう。そこでわしはこの旨お館に申し、更に奥方様のお手を借り、大奥の腰元全部の手蹟を、残るところなく調べたのだ。するとどうじゃ、八重めの文字が、隠語の文字と同じではないか。そこで八重めを窮命したところ、盗人に相違ござりませぬと、素直に白状いたしおったわ」
「嘘だ!」と悲痛の主税の声が、腹の底から絞るように出た。
「八重が、八重殿が、盗人などと! 嘘だ! 信じぬ! 嘘だ嘘だ!」
しかし見る見る主税の顔から、血の気が消えて鉛色となった。
(もしや!)という疑惑からのことであろう。
そうして彼の眼――主税の眼は、頼母から離れて隣の部屋の、お八重の方へ移って行った。
「あッはッはッ、そう思うであろう。……恋女の八重が館の盗人! これは信じたくはあるまいよ。……が、事実は事実なのでのう、信じまいとしても駄目なのじゃ。……念のため八重自身の口から、盗人の事実を語らせてやろう」
勘兵衛の方へ顔を向けると、
「その猿轡はずしてやれ」と頼母は冷然とした声で云った。
つと勘兵衛の手が伸びた時には、お八重の口は自由になっていた。
「八重殿!」と、それを見るや山岸主税は、ジリジリ[#「ジリジリ」は底本では「ヂリヂリ」]とそっちへ膝を進め、
「よもや、八重殿! 八重殿が※[#感嘆符疑問符、1−8−78]」
「山岸様!」とお八重は叫んだ。倒れていた体を起き返らせ、主税の方へ胸を差し出し、髪のふりかかった蒼白の顔を、苦痛に歪めて主税の方へ向け、歯ぎしるような声でお八重は叫んだ。
「深い事情はござりまするが、お館の数々の器類を、盗み出しましたはこの妾《わたくし》、この八重めにござります!」
その次の瞬間には彼女の体は、前のめりに倒れていた。そこから烈しい泣き声が起こった。畳へ食いついて泣き出したのである。
主税の全身に顫えが起こった。そうして彼の体も前のめりに倒れた。背の肉が波のように蜒っている。恋人八重が盗人とは! これが彼を男泣きに泣かせたのらしい。
そういう二人を左見右見《とみこうみ》しながら、頼母は酸味ある微笑をしたが、やがて提げていた刀の鐺《こじり》で主税の肩をコツコツと突き、
「八重が盗人であるということ、これで其方《そち》にも解《わか》ったであろうな。……八重めはお館の命により、明朝打ち首に致すはずじゃ。……が、主税、よく聞くがよい、其方の持っておる淀屋の独楽を、わしの手へ渡すということであれば、八重の命はわしが助けてやる。そうして此処から逃がしてやる。勿論、その後は二人して夫婦になろうとそれは自由じゃ」
ここで頼母は言葉を切り、また二人をじろり見て、
「それともあくまで強情を張って、淀屋の独楽を渡さぬとなら、この場において其方《そのほう》を殺し、明朝八重を打ち首にする。……主税、強情は張らぬがよいぞ。独楽の在り場所を云うがよい」
極重悪木の由来
この頃|戸外《そと》の往来を、植木師の一隊が通っていた。そうして老人と美少年と、女猿廻しのお葉とが、その後を尾行《つけ》て歩いていた。
と、静かに三人は足を止めた。
行手に大名屋敷の土塀が見え、裏門らしい大門が見え、その前へ植木師の一隊が、植木を積んだ車を囲み、月光の中に黒く固まり、動かずに佇んだからであった。
大名屋敷は田安家であった。
と、白い髪を肩の辺りで揺るがせ、白い髯を胸の辺りで顫わせ、深い感情を抑え切れないような声で「飛加藤《とびかとう》の亜流」という老人は云った。
「数日前に『極重悪木』を、彼ら田安家へ植え込んで、腰元を数人殺したそうだが、今夜も田安家へ植え込もうとしておる。……彼、東海林自得斎《しょうじじとくさい》め、よくよく田安家に怨みがあると見える!」
「お爺さん」とお葉は恐ろしそうに訊いた。
「極重悪木と仰有《おっしゃ》るのは? 東海林自得斎と仰有るのは?」
「私《わし》たちの祖師様とはいつの場合でも、反対の立場に立っている、世にも恐ろしい恐ろしい男、それが東海林自得斎なのだよ。その男も私達の祖師様のように、三十年もの間一本の木を、苦心惨憺して育てたのだよ。それが極重悪木なのだ。触った生物を殺す木なのだ。来る道々按摩を殺し、仲間を殺したその木なのだ。あそこにいる植木師たちの植木の中に、その木が一本雑っているのだよ」
「その東海林自得斎という男、何をしてどこに居りますの?」
「日本一大きな植木師として、秩父山中に住んでいるのだよ。幾個《いくつ》かの山、幾個かの谷、沢や平野を買い占めてのう。幾万本、いや幾十万本の木を、とりこ[#「とりこ」に傍点]にして置いて育てているのだよ。そうして大名衆や旗本衆や、大金持の人々から、大口の注文を承わっては、即座に数十本であろうと数百本であろうと、どのような珍木異木であろうと、注文通り納めているのだよ」
「そういう大きな植木師をしながら、人を殺す恐ろしい毒の木を、東海林自得斎は育てて居りますのね」
「いいや、今では数を殖やしているのさ。三十年もの間研究して極重悪木を作り上げたのだから、今ではその数を殖やしているのだよ。……憎いと思う人々の屋敷へ植え込んで、そこの人を根絶しにするためにな」
「その恐ろしい木が、極重悪木が、田安家へ植えこまれたと仰有るのね! 今夜も植えこまれると仰有るのね! まあ、こうしてはいられない! お八重様があぶない、お八重様のお命が!」
お葉は夢中のように歩き出した。
田安家の横手の土塀の前へ、女猿廻しのお葉が現われたのは、それから間もなくのことであった。
土塀の上を蔽うようにして、植込の松や楓や桜が、林のように枝葉を繁らせ、その上に月がかかっていて、その光が枝葉の間を通して、お葉の体へ光の飛白《かすり》や、光の縞を織っている。そのお葉は背中に藤八《とうはち》と名付ける、可愛らしい小猿の眠ったのを背負い、顔を上向けて土塀の上を、思案しいしい眺めていた。
「飛加藤の亜流」という老人と別れて、一人此処へ来たお葉なのであった。でも何のために此処へ来て、何をしようとするのであろう。
意外な邂合
「藤八よ」とお葉は云って、背中の小猿を揺り起こした。
「さあこれを持って木へ登って、木の枝へしっかり巻きつけておくれ」
腰に挟んでいた一丈八尺の紐を、お葉は取って小猿へ渡した。と直ぐに小猿が土塀を駆け上り、植込の松の木へ飛び付いた姿が、黒く軽快に月光に見えた。でも直ぐに小猿は飛び返って来た。紐が松の枝から土塀を越して、お葉の手にまで延びている。間もなくその紐を手頼りにし、藤八猿を肩にしたまま、塀を乗り越えるお葉の姿が、これも軽快に月光に見えた。
紐を手繰《たぐ》って腰へ挿み、藤八猿を肩にしたまま、お葉は田安家の土塀の内側の、植込の根元に身をかがめ、じっと四辺《あたり》を見廻した。それにしてもお葉は何と思って、田安家のお庭へなど潜入したのであろう? 自分の加担者の腰元お八重へ、極重悪木という恐ろしい木の、植え込まれたことを告げ知らせ、その木へ決して触わらぬようにと、注意をしたいためからであった。
(お八重様の居り場所どこかしら?)
お葉は眼を四方へ配っ
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