十本であろうと数百本であろうと、どのような珍木異木であろうと、注文通り納めているのだよ」
「そういう大きな植木師をしながら、人を殺す恐ろしい毒の木を、東海林自得斎は育てて居りますのね」
「いいや、今では数を殖やしているのさ。三十年もの間研究して極重悪木を作り上げたのだから、今ではその数を殖やしているのだよ。……憎いと思う人々の屋敷へ植え込んで、そこの人を根絶しにするためにな」
「その恐ろしい木が、極重悪木が、田安家へ植えこまれたと仰有るのね! 今夜も植えこまれると仰有るのね! まあ、こうしてはいられない! お八重様があぶない、お八重様のお命が!」
 お葉は夢中のように歩き出した。

 田安家の横手の土塀の前へ、女猿廻しのお葉が現われたのは、それから間もなくのことであった。
 土塀の上を蔽うようにして、植込の松や楓や桜が、林のように枝葉を繁らせ、その上に月がかかっていて、その光が枝葉の間を通して、お葉の体へ光の飛白《かすり》や、光の縞を織っている。そのお葉は背中に藤八《とうはち》と名付ける、可愛らしい小猿の眠ったのを背負い、顔を上向けて土塀の上を、思案しいしい眺めていた。
「飛加藤の亜流」という老人と別れて、一人此処へ来たお葉なのであった。でも何のために此処へ来て、何をしようとするのであろう。

   意外な邂合

「藤八よ」とお葉は云って、背中の小猿を揺り起こした。
「さあこれを持って木へ登って、木の枝へしっかり巻きつけておくれ」
 腰に挟んでいた一丈八尺の紐を、お葉は取って小猿へ渡した。と直ぐに小猿が土塀を駆け上り、植込の松の木へ飛び付いた姿が、黒く軽快に月光に見えた。でも直ぐに小猿は飛び返って来た。紐が松の枝から土塀を越して、お葉の手にまで延びている。間もなくその紐を手頼りにし、藤八猿を肩にしたまま、塀を乗り越えるお葉の姿が、これも軽快に月光に見えた。
 紐を手繰《たぐ》って腰へ挿み、藤八猿を肩にしたまま、お葉は田安家の土塀の内側の、植込の根元に身をかがめ、じっと四辺《あたり》を見廻した。それにしてもお葉は何と思って、田安家のお庭へなど潜入したのであろう? 自分の加担者の腰元お八重へ、極重悪木という恐ろしい木の、植え込まれたことを告げ知らせ、その木へ決して触わらぬようにと、注意をしたいためからであった。
(お八重様の居り場所どこかしら?)
 お葉は眼を四方へ配った。
 三卿の筆頭であるところの、田安中納言家のお屋敷であった。客殿、本殿、脇本殿、離亭《はなれ》、厩舎、望楼《ものみ》台、そういう建物が厳しく、あるいは高くあるいは低く、木立の上に聳え木立の中に沈み、月光に光ったり陰影《かげ》に暗まされたりして、宏大な地域を占領している。
(奥方様付きのお腰元ゆえ、大奥にお在《い》でとは思うけれど、その大奥がどこにあるやら?)
 といっていつ迄も植込の中などに、身を隠していることも出来なかったので、
(建物の方へ忍んで行ってみよう)
 で、彼女は植込を出て、本殿らしい建物の方へ、物の陰を辿って歩いて行った。
 この構内の一画に、泉水や築山や石橋などで、形成《かたちづく》られている庭園があったが、その庭園の石橋の袂へ、忽然と一人の女が現われたのは、それから間もなくのことであった。女は? 浪速《なにわ》あやめ[#「あやめ」に傍点]であった。鼠小紋の小袖に小柳襦子の帯、お高祖頭巾をかむったあやめ[#「あやめ」に傍点]であった。
 それにしてもあやめ[#「あやめ」に傍点]はほんの先刻《さっき》まで、女猿廻しお葉として、老人主従と連れ立ってい、そうしてつい[#「つい」に傍点]今しがた同じ姿で、土塀を乗り越えてこの構内へ、潜入をしたはずだのに、今見れば町家の女房風の、浪速あやめ[#「あやめ」に傍点]としてここにいるとは?
 短かい短かい時間の間に、あるいは女猿廻しお葉となり、あるいは曲独楽使いのあやめ[#「あやめ」に傍点]となる! この女の本性は何なのであろう?
 正体不可解の浪速あやめ[#「あやめ」に傍点]は、石橋の袂[#「袂」は底本では「袖」]に佇みながら、頭巾と肩とをわけても鮮かに、月の光に曝しながら、正面に見えている建物の方を、まじろぎもせず眺めていたが、やがてその方へ歩き出した。
 と、築山の裾を巡った。
 とたんに彼女は「あッ」と叫んで、居縮んだように佇んだ。同時に彼女の正面からも、同じような「あッ」という声が聞こえた。見ればそこにも女がいて、あやめ[#「あやめ」に傍点]の顔を見詰めながら、居縮んだように立っている。それは女猿廻しのお葉であった。
 おお、では二人のこの女は、別々の女であるのだろうか! そうとしか思われない。
 それにしても何と二人の女は、その顔立から肉付から、年恰好から同一《おんなじ》なのであろう! そうして何と
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