ったお方は、このご老人の他にはない。このお方がきっとお祖師様なのだよ)
(でも妾《わたし》は一生の大事業の、その小口に取りかかったのに、こんなお爺さんと連立って、こんなお話をして歩くなんて、よいことだろうか悪いことだろうか?)
 こうも彼女には思われるのであった。
 三人は先へ進んで行った。
 やがて、四辻の交叉点へ出た。
 それを左の方へ曲がりかけた時、右手の方から一隊の人数が、粛々とこっちへ歩いて来た。
 根元の辺りを菰《こも》で包んだ、松だの柏だの桜だの梅だの、柳だの桧だのの無数の植木を、十台の大八車へ舁《か》き乗せて、それを曳いたりそれを押したり、また左右に付添ったりして、四十人ほどの植木師らしい男が、こっちへ歩いて来るのであった。深夜だから音を立てまいとしてか、車の輪は布で巻かれていた。植木師の風俗も変わっていた。岡山頭巾で顔をつつみ、半纏の代わりに黒の短羽織《みじかばおり》を着、股引の代わりに裁着《たっつけ》を穿《は》き、そうして腰に一本ずつ[#「一本ずつ」は底本では「一本づつ」]、短い刀を差していた。
 車の上の植木はいずれも高価な、立派な品らしく見受けられたが、往来《みち》の左右の海鼠壁よりも高く、月夜の空の方へ葉や枝を延ばし、車の揺れるに従って、それをユサユサと揺する様子は、林が歩いてでも来るようであった。
 その一隊が三人の前まで来た時、手を左右に振りながら、警戒するように『叱《しっ》!』と云った。近寄るなとでも云っているようであった。
「叱!」「叱!」と口々に云った。
 一隊は二人の前を通り過ぎようとした。
 すると、この辺りの屋敷へ呼ばれ、療治を済ませて帰るらしい、一人の按摩が向う側の辻から、杖を突きながら現われたが、その一隊の中へうっかりと入った。
「叱《しっ》!」「叱《しっ》!」という例の声が、植木師の声などとは思われないような、威嚇的の調子をもって、一際高く響きわたり、ふいに行列が立ち止まった。
 数人の植木師が走って来て、一所へ集まって囁き合い、ひとしきりそこに混乱が起こった。
 がすぐに混乱は治まって、一隊は粛々と動き出し、林は先へ進んで行った。しかし見れば往来《みち》の一所に、黒い大きな斑点が出来ていた。
 按摩の死骸が転がっているのである。
「お爺さん!」と恐ろしさに女猿廻しは叫んで、老人の腕に縋りついた。それを老人は抱えるようにしたが、
「障《さ》わったからじゃ。……殺されたのじゃ」
「何に、お爺さん、何に障わったから?」
「木へ! そう、一本の木へ!」
 それから老人は歩き出した。三人はしばらく沈黙して歩いた。道がまた辻になっていた。
 それを右へ曲がった時、屋敷勤めの仲間らしい男が、仰向けに道に仆れているのが見えた。
 その男も死んでいた。
「お爺さん、またここにも!」
「障わったからじゃ。殺されたのじゃ」
「お爺さん、お爺さん、あなたのお力で……」
「あの木で殺された人間ばかりは、わしの力でもどうにもならない」
 悪魔の一隊は今も近くの、裏通りあたりを通っていると見え、そうして又も人を殺したと見え、
「叱!」「叱!」という混乱した声が、三人の耳へ聞こえてきた。

   美しき囚人

 同じこの夜のことであった。
 田安家の大奥の一室に、座敷牢が出来ていて、腰元風の若い女と、奥家老の松浦頼母とが、向かい合って坐っていた。
「八重《やえ》、其方《そち》は強情だのう」
 眼袋の出来ている尻下りの眼へ、野獣的の光を湛え、酷薄らしい薄い唇を、なめずるように舌で濡らしながら、頼母はネットリとお八重へ云った。
「将軍家《うえさま》より頂戴した器類を、館より次々に盗み出したことは、潔よく其方も白状したではないか。では何者に頼まれて、そのようなだいそれ[#「だいそれ」に傍点]た悪事をしたか、これもついで[#「ついで」に傍点]に云ってしまうがよい。……其方がどのようにシラを切ったところで、其方一人の考えから、そのような悪事を企てたものとは、誰一人として思うものはないのだからのう」
 云うことは田安家の奥家老として、もっとも千万のことであり、問い方も厳しくはあったけれど、しかし頼母の声や態度の中には、不純な夾雑物《まじりもの》が入っていて、ひどく厭らしさを感じさせるのであった。
「ご家老様」とお八重は云って、白百合のように垂れていた頸を、物憂そうに重々しく上げた。
「ご家老様へお尋ねいたしまするが、貴郎《あなた》様がもしもお館様より、これこれのことを致して参れと、ご命令をお受け遊ばされて、ご使命を執り行ない居られます途中で、相手の方に見現わされました際、貴郎様にはお館様のお名を、口にお出しなさるでございましょうか?」
「なにを馬鹿な、そのようなこと、わしは云わぬの、決して云わぬ」
「八重も申しはいたしま
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