独楽を掌《てのひら》の上へ載せ、体を欄干へもたせかけ、主税はぼんやり考え込んだ。
が、ふと彼に考えられたことは、あやめ[#「あやめ」に傍点]が舞台から彼の袖の中へ、この独楽を投げ込んだということであった。
(あれほどの芸の持主なのだから、それくらいのことは出来るだろうが、それにしても何故に特に自分へこのようなことをしたのだろう?)
これが不思議でならなかった。
怪しの浪人
ふと心棒を指で摘み、何気なく一捻り捻ってみた。
「あ」と又も彼は言った。
独楽は掌の上で廻っている。
その独楽の心棒を中心にして、独楽の面に幾個《いくつ》かの文字が白く朦朧と現われたからである。
「淀」という字がハッキリと見えた。
と、独楽は廻り切って倒れた。
同時に文字も消えてしまった。
「変だ」と主税《ちから》は呟きながら、改めて独楽を取り上げて、眼に近付けて子細に見た。
何の木で作られてある独楽なのか、作られてから幾年を経ているものか、それが上作なのか凡作なのか、何型に属する独楽なのか、そういう方面に関しては、彼は全く無知であった。が、そういう無知の彼にも、何となくこの独楽が凡作でなく、そうして制作されて以来、かなりの年月を経ていることが感じられてならなかった。
この独楽は直径二寸ほどのもので、全身黒く塗られていて、面に無数の筋が入っていた。
しかし、文字などは一字も書いてなかった。
「変だ」と同じことを呟きながら、なおも主税は独楽を見詰めていたが、また心棒を指で摘み、力を罩《こ》めて強く捻った。
独楽は烈しく廻り出し、その面へ又文字を現わした。しかし不思議にも今度の文字は、さっきの文字とは違うようであった。
「淀」という文字などは見えなかった。
その代わりかなりハッキリと「荏原《えばら》屋敷」という文字が現われて見えた。
「面の筋に細工があって、廻り方の強さ弱さによって、いろいろの文字を現わすらしい」
(そうするとこの独楽には秘密があるぞ)
主税はにわかに興味を感じて来た。
すると、その時背後から、
「お武家、珍しいものをお持ちだの」と錆のある声で言うものがあった。
驚いて主税は振り返って見た。
三十五六の浪人らしい武士が、微笑を含んで立っていた。
髪を総髪の大束《おおたぶさ》に結び、素足に草履を穿いている。夕陽の色に照らされていながら、なお蒼白く感じられるほど、その顔色は白かった。左の眼に星の入っているのが、いよいよこの浪人を気味悪いものにしていた。
「珍らしいもの? ……何でござるな?」
主税は独楽を掌に握り、何気なさそうに訊き返した。
「貴殿、手中に握っておられるもので」
「ははあこれで、独楽でござるか。アッハッハッ、子供騙しのようなもので」
「子供騙しと仰せられるなら、その品拙者に下さるまいか」
「…………」
「子供騙しではござるまい」
「…………」
「その品どちらで手に入れられましたかな?」
「ほんの偶然に……たった今しがた」
「ほほう偶然に……それも今しがた……それはそれはご運のよいことで……それに引き換え運の悪い者は、その品を手中に入れようとして、長の年月を旅から旅へ流浪いたしておりまするよ」
「…………」
「貴殿その品の何物であるかを、ではご存知ではござるまいな?」
「左様、とんと、がしかし、……」
「が、しかし、何でござるな?」
「不思議な独楽とは存じ申した」
「その通りで、不思議な独楽でござる」
「廻るにつれて、さまざまの文字が……」
「さようさよう現われまする。独楽の面へ現われまする。で、貴殿、それらの文字を、どの程度にまで読まれましたかな?」
「淀という文字を目つけてござる」
「淀? ははア、それだけでござるか?」
「いやその他に荏原屋敷という文字も」
「ナニ荏原屋敷? 荏原屋敷? ……ふうん左様か、荏原屋敷――いや、これは忝《かたじけ》のうござった」
云い云い浪人は懐中へ手を入れ、古びた帳面を取り出したが、さらに腰の方へ手を廻し、そこから矢立を引き抜いて、何やら帳面へ書き入れた。
睨み合い
「さてお武家」と浪人は言った。
「その独楽を拙者にお譲り下されい」
「なりませぬな、お断りする」
はじめて主税はハッキリと言った。
「貴殿のお話|承《うけたま》わらぬ以前《まえ》なら、お譲りしたかは知れませぬが、承わった現在においては、お譲りすることなりませぬ」
「ははあさては拙者の話によって……」
「さよう、興味を覚えてござる」
「興味ばかりではござるまい」
「さよう、価値をも知ってござる」
「独楽についての価値と興味とをな」
「さようさよう、その通りで」
「そうすると拙者の言動は、藪蛇になったというわけでござるかな」
「お気の毒さまながらその通りで」
「そこで貴殿にお訪《た
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