こうと思ったからであった。
昼の中に来るのが至当なのであったが、昼の中彼は屋敷へ籠って――お館へは病気を云い立てて休み――例の独楽を廻しに廻し、現われて来る文字を寄せ集め、秘密を知るべく努力した。
しかし、結果は徒労《むだ》だった。
というのは、その後に現われて来た文字は「に有りて」という四つの文字と「飛加藤の亜流」という訳のわからない、六つの文字に過ぎなかったからで……
そこで彼は夕方駕籠を飛ばせて、ここへ訪ねて来たのであった。そうしてあやめ[#「あやめ」に傍点]に逢いたいと言った。
すると勘兵衛という男が出て来て、極めて曖昧な言葉と態度で、あやめ[#「あやめ」に傍点]は居ないというのである。
「少し尋ねたい仔細《こと》があってな」
主税はこっちでも曖昧味を現わし、
「それで訪ねて参ったのだが、居ないとあっては止むを得ぬの。どれ、それでは帰るとしようか」
「ま、旦那様ちょっとお待ちなすって」
勘兵衛の方が周章《あわて》て止めた。
「実は彼女《あいつ》がいなくなったのであっし[#「あっし」に傍点]はすっかり参っていますので。何せ金箱でございますからな。へい大事な太夫なので。……それであっし[#「あっし」に傍点]も小屋の者も、大騒ぎをして探していますので」
「しかし宿所《やど》には居るのだろう?」
「それが貴郎様、居ないんで」
「宿所にもいない、ふうんそうか。一体宿所はどこなのだ?」
「へい、宿所は……さあ宿所は……神田辺りなのでございますが……それはどうでもよいとして、宿所にもいず小屋へも来ない。昨夜《ゆうべ》ポカンと消えてしまったんで」
「ふうん、昨夜消えてしまった。……猿廻しに身をやつし[#「やつし」に傍点]て消えてしまったのではあるまいかな」
「え、何だって? 猿廻しにだって?」
勘兵衛はあっけにとられたように、
「旦那、そりゃア一体何のことで?」
(しまった)と主税は後悔した。
(云わでものことを口走ってしまった)
主税は口を噤んで横をむいた。
「こいつア変だ! 変ですねえ旦那! ……旦那何か知ってますね!」と勘兵衛はにわかにかさ[#「かさ」に傍点]にかかり、
「あやめ[#「あやめ」に傍点]の阿魔《あま》が消えてしまった途端に、これまで縁のなかったお侍さんが、ヒョッコリ訪ねておいでなすって、根掘り葉掘りあやめ[#「あやめ」に傍点]のことをお訊きになる。その後で猿廻しに身をやつして[#「やつして」に傍点]なんて、変なことを仰せになる! ……旦那、お前さんあの阿魔を、あやめ[#「あやめ」に傍点]の阿魔をおびき[#「おびき」に傍点]出し……」
「黙れ!」と主税は一喝した。
「黙っておればこやつ無礼! 拙者を誘拐《かどわか》しか何かのように……」
「おお誘拐しだとも、誘拐しでなくて何だ! あやめ[#「あやめ」に傍点]の阿魔を誘拐して、彼女の持っている秘密を奪い、一儲けしようとするのだろう! ……が、そうならお気の毒だ! 彼女はそんな秘密などより、荏原《えばら》屋敷の奴原を……」
「荏原屋敷だと※[#感嘆符疑問符、1−8−78] おおその荏原屋敷とは……」
「そうれ、そうれ、そうれどうだ! 荏原屋敷まで知っている汝《おのれ》、どうでも平記帳面の侍じゃアねえ! 食わせ者だア――食わせものだア――ッ……わーッ」
と、これはどうしたことだろう。にわかに勘兵衛は悲鳴を上げ、両手で咽喉の辺りを掻き※[#「てへん+毟」、第4水準2−78−12]ったかと思うと、前のめり[#「のめり」に傍点]にバッタリと地へ倒れた。
「どうした勘兵衛!」と主税は驚き、介抱しようとして屈み込んだ。
その主税の眼の前の地上を、小蛇らしいものが一蜒りしたが、空店《あきだな》の雨戸の隙の方へ消えた。
息絶えたらしい勘兵衛の体は、もう延びたまま動かなかった。
「どうしたどうした!」
「勘兵衛の声だったぞ」と小屋の中から人声がし、幾人かの人間がドヤドヤと、木戸口の方へ来るらしかった。
(巻添えを食ってはたまらない)
こう思った主税が身を飜えして、この露路から走り出したのは、それから間もなくのことであった。
白刃に囲まれて
この時代《ころ》のお茶の水といえば、樹木と藪地と渓谷《たに》と川とで、形成《かたちづく》られた別天地で、都会の中の森林地帯であった。
昼間こそ人々は往《ゆ》き来したが、夜になるとほとんどだれも通らず、ただひたすら先を急いで迂回することをいとう人ばかりが、恐々《こわごわ》ながらもこの境地《とち》を、走るようにしてとおるばかりであった。
そのお茶の水の森林地帯へ、山岸主税が通りかかったのは、亥《い》の刻を過ごした頃であった。
あやめ[#「あやめ」に傍点]が行方不明となった、勘兵衛という太夫元が、何者かに頓死させられ
前へ
次へ
全45ページ中9ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング