》たけた美女が端坐していた。
「貴女《きじょ》は?」と正次は驚きながら訊ねた。訊ねながらも油断無く、弦《ゆみ》に矢筈《やはず》をパッチリと嵌め、脇構えに徐《おもむろ》に弦《つる》を引いた。
「この家の主人《あるじ》にござります。……」
「では先刻の……今様《いまよう》の歌主?」
 云い云い八分通り弦を引き、
「ご姓名は? ……ご身分は?」
「楠氏の直統、光虎《みつとら》の妹、篠《しの》と申すが妾《わらわ》にござります」
「おお楠氏の? ……さては名家……その由緒ある篠姫様が……」
 ヒューッとその時数條の箭が、敵方よりこなたへ射かけられた。と、瞬間に正次の眼前、数尺の空で月光を刎ねて、宙に渦巻き光る物があった。
「おッ」――キリキリと弦を引き、さながら満月の形にしたが「おッ」とばかりに声を洩らし、正次は光り物の主を見た。一人の老人が小薙刀を、宙に渦巻かせて箭を払い落とし、今や八双に構えていた。
「や、貴殿は? ……」
「昼の程は失礼」
「うーむ、和田の翁でござるか」
「すなわち楠氏の一族にあたる和田|新発意《しんぼち》の正しい後胤、和田|兵庫《ひょうご》と申す者。……」
「しかも先刻築山の方より、拙者を目掛けて箭を射かけたる……」
「それとて貴殿の力倆|如何《いか》にと、失礼ながら試みました次第……」
「…………」
 矢声は掛けなかった! それだけに懸命! 切って放した正次の箭! 悲鳴! 中《あた》った! 足を空に、もんどり[#「もんどり」に傍点]討って倒れたのは、雉四郎の前に立ちふさがった、敵ながらも健気《けなげ》の武士であった。
 ワーッとどよめき崩れ引く敵! しかも遥かに逃げのびながら、またもハラハラと箭を射かけた。と薙刀を渦巻かせ、和田兵庫は正次の前方、書院の縁の端に坐り、片膝をムックリと立てていた。
「いざ、三ノ箭! 遊ばしませ」
 姫が差し出した三本目の箭を、素早く受けると日置正次、矢筈に弦を又もつがえ、グーッと引いて満を持した。
「その楠氏の姫君が、何故このような古館に?」
「洞院左衛門督信隆《とういんさえもんのすけのぶたか》卿、妾の境遇をお憐れみ下され、長年の間この館に、かくまいお育て下されました。しかるに大乱はじまりまして、都は大半烏有に帰し、公卿方|堂上人《どうじょうびと》上達部《かんだちめ》、いずれその日の生活《たつき》にも困り、縁をたよって九州方面の、大名豪族の領地へ参り、生活《くらし》するようになりまして、わが洞院信隆卿にも、過ぐる年|周防《すおう》の大内家へ、下向されましてござります。その際妾にも参るようにと、懇《ねんごろ》におすすめ下されましたが……」
「…………」
 矢声は掛けなかった、充分に狙い、切って放した正次の箭! 中《あた》って悲鳴、又も宙に、もんどり打って仆れた敵! ワーッとどよめいて敵は引いたが、懲りずまた箭をハラハラと射かけた。
 渦巻かせた兵庫の薙刀のために、箭は数條縁へ落ちた。
「四本目の箭、いざ遊ばせ!」
「うむ」と受け取り、そのままつがえ
「何故ご下向なされませなんだ」
「先祖|正成《まさしげ》より伝わりました、弓道の奥義書『養由基《ようゆうき》』九州あたりへ参りましたら、伝える者はよもあるまい、都にて名ある武士に伝え、伝え終らば九州へと……」
「養由基? ふうむ、名のみ聞いて、いまだ見たこともござらぬ兵書! ははあそれをお持ちでござるか」
 云い云い正次は、キリ、キリ、キリ、と弦をおもむろに引きしぼった。
「養由基一巻拙者の手に入らば、日頃念願の本朝弓道の、中興の事業も完成いたそうに。欲しゅうござるな! 欲しゅうござるな。……さてこの度は何奴を!」
 満月に引いてグッと睨んだ。


 自分の部下を目前において、二人まで射倒された雉四郎は、怒りで思慮を失ってしまった。箭に対して刀を構えようとはせず、持っていた槍を引きそばめ、衆の先頭へ走り出た。
「やあ汝《おのれ》よくもよくも、我等の味方を箭先にかけ、二人までも射て取ったな。もはや許さぬ、槍を喰らって、この世をおさらば、往生遂げろ!」
 叫びながら驀進《まっしぐら》に、正次目掛けて走りかかった。
(いよいよ此奴《こやつ》を!)と日置正次、引きしぼり保った十三|束三伏《ぞくみつぶせ》、柳葉《やなぎは》の箭先に胸板を狙い、やや間近過ぎると思いながらも、兵《ひょう》ふっ[#「ふっ」に傍点]とばかり切って放した。
 狙いあやまたず胸板を射抜き、本矧《もとはぎ》までも貫いた。
 末期の悲鳴、凄く残し、槍を落とすとドッと背後へ、雉四郎は仆れて死んだ。頭目を討たれたあばら組の余衆、競ってかかる勇気はなく、雉四郎の死骸さえ打ち捨て、ドーッと裏門からなだれ出た。

 半刻《はんとき》あまりも経った頃、正次と篠姫と和田兵庫とが、書院でつつまし
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