……俺は三度まで逢ったんだがね。それもいつも往来でね」
「それで、何んですか、ご前とは、何か関係でもございましたので?」
「あるといえばあったようなもの、ないと云えばなかったようなものさ……ところで、初というその老女はどんな具合に死んだかな? 往来の上で野|倒《た》れ死にかな?」
「まさかそんな事もありますまい」女将の返辞は平凡であった。
 明治三十一年の十二月十九日に彼は死んだ。眼を瞑《と》じる時こう云ったと看護のある人が公開した。
「いよいよ俺ももういけねえ」と。これは恐らく聞き違いであろう。彼は恐らくこう云ったのであろう。
「いよいよ俺ももう聞けねえ」と。鼓が聞けないと云ったのであろう。
 姓は、勝。通称は、麟太郎。そして号は海舟であった。



底本:「怪しの館 短編」国枝史郎伝奇文庫28、講談社
   1976(昭和51)年11月12日第1刷発行
初出:「サンデー毎日」
   1924(大正13)年1月1日号
入力:阿和泉拓
校正:多羅尾伴内
2004年11月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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