自分の前に集まっている尾張藩の武士や、持田八郎右衛門の弟子の、大勢の船大工たちを睨《にら》んでいる、凄愴《せいそう》とした光景でした。
「かかれ、汝等《おのれら》、かかったが最後だ!」
と、嗄《しわが》れた声で、鶴吉は叫びましたっけ。
「かかったが最後駕籠の中の女は、俺が一刀に刺し殺す!……持田八郎右衛門の娘を殺す! かかれたらかかれ!」
船大工たちは口惜しそうに、口々に詈《ののし》りました。
「畜生、鶴吉!」
「恩知らず!」
――しかし棟領の秘蔵の娘を、人質にとられているのですから、かかって行くことはできませんでした。西条様はじめお侍さんたちも、刀を構えて焦心《あせ》っているばかりで、どうすることもできませんでした。というのは持田八郎右衛門は、船大工の棟領とはいいながら、立派な藩の御用番匠《ごようばんしょう》であり、ことには西丸様の今度のお企ての、大立物でありますので、その人の娘にもしも[#「もしも」に傍点]のことがあったら、一大事だと思ったからで。
しかしわたしは遠慮しませんでした。大声で言ってやりました。
「今だ、お小夜坊《さよぼう》、やっつけな!」
九
途端に「あッ」という悲鳴が起こり、刀をふりかぶったまま、鶴吉は躰《からだ》を捻《ねじ》りましたが、やがて、よろめくと、ドット倒れました。脇腹《わきばら》から血が吹き出しています。
「わーッ」という声が湧《わ》き上がりましたが、これは船大工や藩士の方々が、思わずあげた声でした。でもその声はすぐに止《や》んで、気味悪くひっそりとなってしまいました。
血にぬれた懐剣をひっさげて、駕籠の垂《た》れを刎《は》ねてお小夜坊が、姿を現わしたからです。
お小夜坊ではなくてお柳《りゅう》でした。
はじめて人を斬ったのでした。お柳の顔色はさすがに蒼《あお》く、その眼は血走っておりましたが、それだけにかえって凄艶《せいえん》で、わたしとしましてはお柳という女を、この時ほど美しいと思ったことは、ほかに一度もありませんでした。お柳はわたしを見やってから、船大工たちへ言いましたっけ。
「皆様ご安心なさいまし、お小夜様は妾《わたし》がお助けして、この林の奥の、藪蔭にお隠しして置きました」
歓喜の声をあげて、船大工たちが林の奥へ走って行ったのは、いうまでもないことでございます。その間に西条様や藩士の方々は、
前へ
次へ
全15ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング