室に集まり今後の方針を議することとした。
 真っ先に立ち上がって発言したのは大和日出夫の父であった。
「拙者は日本の本草家|大和《やまと》節斎《せっさい》と申す者でござる」
 これを聞くと紋太夫は驚いたような顔をしたが、
「ナニ大和節斎殿とな? これはこれはさようでござったか。和漢洋の学に通じ、本草学の研究においては一流の学者と申すこと、噂に承《うけたま》わっておりました。しかし今より十数年前、支那|上海《シャンハイ》の方面にて行方不明になられたと、もっぱらの評判でござりましたが、意外も意外このような土地に、ご壮健にておいでとは、不思議な事でござりますな」
「いやそれには訳がござる」節斎は微妙に笑ったが、「まずともかくもお聞きくだされ。これは不思議な話でござる。そうしてこれは皆様にとって最も有益な話でござる。実はな拙者|上海《シャンハイ》において珍らしい書物を手に入れたのでござる」

        二十七

 大和節斎は演説を続けた。――
「さよう、拙者は上海《シャンハイ》において、珍らしい書物を手に入れました。孔子以後現代までの聖人賢人悪人どもの知識について書き記したもので、この本一冊持っていさえしたら、世界のあらゆる出来事はさながら掌上を指すがごとく理解出来るのでございます。で、拙者はこの書物を『聖典』と呼ぶことに致しました。さて、その聖典の暗示によって、この島のどこかに大宝庫があり、発掘を待っているということを、朧《おぼ》ろ気ながら知ることを得たのは十数年前のことであって、その時以来この島へ移住し、土人どもと交際をし今日まで暮らして参りました。最近聖典を失いましたため、一時研究を放擲《ほうてき》しましたが、大挙して諸君が参られたからは、再び勇気を揮《ふる》い起こし、所期を貫徹致すべく努力するつもりでございます」
 ここで彼は一|咳《がい》したが、
「さて、ついては今日まで、十数年間この島に関して、研究致しました成績について、あらかたお話し致しましょう。……まず第一この島には宝石の土蔵がございます」
 ここでまた一咳した。
「それから第二にこの島には黄金の土蔵がございます。そうしてこの島の樹木たるやいずれも珍木でございます。要するにこの島その物が一大宝庫なのでございます。しかるにこの島の土人なる者が、昔から剽悍《ひょうかん》でございましたので、幾多著名の冒険家
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