頬冠りを取り、手拭いで体を拭き拭き、
「それにしても進一さんて人は幸福《しあわせ》だなア、お蘭ちゃんのような可愛らしい人を嫁さんにするなんて。……おいお蘭ちゃん、俺らお前さんに餞別《はなむけ》するぜ。どうかまア今のような綺麗な裸体《はだか》の心で、進一さんに尽くしてくんなと。……男なんてもなア女のやり方一つで、どうにでもなるんだからなあ」
 男は手早くお蘭の着物を纒《まと》った。
「アッハッハッ、この風で捕手《いぬ》どもの眼を眩《くらま》しとっ[#「とっ」に傍点]走るのよ! ……おかげで湯にもはいれた。……心と一緒に体も綺麗になったってものさ」
 お蘭は驚愕した大きな眼で男の顔を見詰め、
「あ、あんたの耳! ないわないわ、一つしかないわ!」
 男はこの時もう階段を上がっていたが、振り返ると云った。
「三国峠の権は片耳なのだよ」

 三国峠の権が女装をし頬冠りをして湯殿から飛び出し、廊下づたいに主屋の方へ走り出した時には、沼田藩の捕り手たち数十人が、この温泉宿《ゆやど》へ混み入って、部屋部屋を探し廻っていた。上野《こうずけ》、下野《しもつけ》、武蔵《むさし》、常陸《ひたち》、安房《あわ》
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