す。
少年 お姉様と別れることを。
女子 まあ……ほんとにかい。……ヨハナーンや。
少年 ええ、ええ、ちゃんと知っていたのよ。何故って云うにね。その日の気持ちが、恰度、あの日に似ていたからよ。
女子 あの日?
少年 私に親切だった女の人と別れる日に。……寝台の上の……。
女子 まあ。お母様と別れる日とかぇ。
少年 ええ、ええ。……そうよ。だから私は心の中で今日はお姉様とも別れるのだと思っていたのよ。
女子 ヨハナーンや。――お前さんは!
少年 あの日二人は、岩の上に座っておりましたっけねぇ。二人の前には濁った海がどんよりと広がっておりましたわ。雲が遠くの海に垂れて、空と水とが同じ色に染めつけられていましたわね。……二人は岩の上に座ったまま黙って考えておりましたわね。何故黙っていたんでしょう。
女子 いろいろのことを考えていたからですよ。
少年 その中に急にお姉様が歌をお歌いなされたわ。おのお歌を[#「おのお歌を」はママ]、「その日のために」って云う悲しいお歌を。……なぜ、あんなお歌を歌ったの?
女子 (暫時沈黙。やがて総て決心せるが如き語調にて簡単に)歌う時が来たからですよ。
少年 歌う時が?
女子 ヨハナーンや、あのお歌はね、お母様が私共を棄てて遠い遠い所へ行かれる日(塔をチラリとすかし見て小声にて)あの塔の中へ行かれる日、(大きく)私に教えて行った歌ですよ。……もう二度逢えぬ名残りだと云ってね……。
少年 お姉様!
女子 ヨハナーンや、あのお歌はねぇ。この世の名残りに歌う歌ですよ……。
少年 そんな悲しいお歌を、何故あの日お姉様は歌ったの。
女子 歌う日が来たからですよ。
少年 二度と逢えぬお別れの日が、あの時来たの。
女子 ええ、ええ、あの日がそうです。
少年 お姉様! (と一寸笑い)それだのに今日また二人は逢えたねぇ。……お姉様と私と……。
女子 ヨハナーンや、それはねぇ。
少年 二人は逢われたわ。……そしていつまでも一緒に居られるのよ。此処にねぇ……。
女子 (独言の如く)一緒に居られるって、一緒に居られるって。……ああヨハナーンや、お前さんは、ほんとにそう思うの……。
少年 だってお姉様!
女子 (思い返し)ええ、ええ私共二人はいつまでも一緒に居ることが出来ますとも。……ええ、ええ、居ることが出来ますとも。……だがね、ヨハナーンや。
少年 (無邪気に)ね
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