の……。
女子 (少年に頬ずりをし)そうかぇ、そうかぇ、ああ、ほんとにお前さんは無邪気だねぇ。(窓ごしに塔をすかし見て)けれども、あの塔の影を見る時には、もうその無邪気はなくなるだろう……。(少年を抱きしめ)ヨハナーンや!
少年 (何んとなく悲しげに)お姉様!
(両人無音にて顔を見合わせ、かたく抱き合う)
少年 (四方を見廻し)お姉様、このお室《へや》は淋しいね。
女子 (四方を見)そうお思いかぇ、ヨハナーンや!
少年 (恐ろしそうに)お姉様、このお室には何故|燈火《ともし》がついて[#「ついて」に傍点]いないの? ただ高い高い天井から、青い光が落ちて来るばかり。……お姉様! あの青い光は何処《どこ》から来るの?
女子 恐ろしい所から来るのじゃありませんよ。ただ天井から。
少年 (天井を見上げ)天井の高いこと、どこが限りだか解らない。――お姉様、どこが限りなの?
女子 ……姉様も知りません。
少年 お姉様も知らぬ遠い所から、青い光は来るんだね。……お姉様! 何故此処には寝台が無いの?
女子 このお室に居る人は、夜も昼もしじゅう機を織らねばならぬ故。
少年 (不思議そうに姉を眺め)夜も昼も?
女子 ええ、ええ、夜も昼も五色の糸の綾を織るの。(と機を指さす)
少年 (機を眺め)あの機で織るの?
女子 (頷く)あの機で!
(少年機の傍に行き、触り見る。)
少年 冷たい機!
(再び姉の傍に来て顔を見上ぐ。水の音聞こゆ)
少年 お姉様、外には何があるの。恐ろしい水音が聞こえてよ。
女子 あれはね、暗い水門へ流れ入る水の音です……その水門へ流れ込む水は、二度と再び明るい世界へ出られないんですよ。
少年 その水門はどこにあるの?
女子 このお室の外。
(塔を吹く風の音聞こゆ)
少年 (耳を澄まし)お姉様、風が吹いているね。
女子 塔を風が吹いています。
少年 塔?
女子 水門の上にはね、高い塔があるんですよ。その塔の中にはね……いやいや……何も教えまい。(と急に思い返して黙す)
少年 (姉の顔を熱心に視て)お姉様!
女子 (無音にてヨハナーンを見る)
少年 (熱心に)塔?
女子 いいえ、何もありません。
少年 お姉様! 塔?
女子 いいえ、あの音は水門を吹く風の音です。
少年 その水門の上の塔?
(女子立ち上がり、窓より塔をすかし見る、塔に月光さす)
女子 夜になった、青ざめた光
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