(領主を見て)お前を救ったあの老人へか、(柩の中の公子を指し)鈴蘭の花の送り主か、(自分を指し)紫の袍を着た、銀の竪琴を持った、Fなる魔法使いのこの俺か!
領主 (熱心に)我に与えよ!
従者 お殿様へ差し上げなされませ。
騎士・音楽家 (声を揃え)公子に与えよ、最後の勝利者の公子に与えよ!
小供一同 (声を揃え)公子様へ、公子様へ!
Fなる魔法使い 我に与えよ、血薔薇の送り主なる我に与えよ。
(女子は月桂冠を胸に抱きしまま失神せるものの如く彳《たたず》む。室内静。女子引きつけらるる如く公子の柩に近づく。時に、何処よりともなく哀怨の調べにて「死に行く人魚」の歌聞こゆ)
女子 (突然悲しき声にて)人魚、人魚、死に行く人魚! (と柩の上へ身を蔽い)若様! (燈火一時に消え、月光青く窓より入る、女子悲しげに叫ぶ)
女子 若様、若様! 私も貴郎と一緒に参ります、遠い遠い海底へ……。
(声細り行くと共に、場中再び明るくなる。見れば、女子は柩の中の公子を抱き起こし、かかえしままにて気死す。公子の頭には月桂冠あり。領主は気死せる女子を支えて片膝をつき。騎士、音楽家及び小供と使女の大勢は、それぞれの形にて、十字を切りて葬礼の姿を現わす。――Fなる魔法使いは正面の口より出でんとし、斜に姿を観客に見せる。従者は床に伏して泣く。鉦の音。哀しき歌)
Fなる魔法使い 誘惑より勝るものが此処にある。
(銀の竪琴をかき鳴らし)この音の響く方へ俺は行こう、そこで再び女を試みよう。(間)けれども此処へはもう来まい。此処には俺より強いものがある。
(再び銀の竪琴をかき鳴らす。その音場に充《み》つ。音と共にFなる魔法使い退場)
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その日のために
場所 一室
人物 女子
その弟(ヨハナーン)
巨人
影の人(多数)
一場
一室。四方灰色を以て塗る。天井より青白き光線さし下る。左右に口ありて堅き鉄の扉を以て閉ざす。室の正面中央に大なる窓。窓には鉄の格子あり、黒き掛け布ありて半ばしぼられたり。窓を通して陰鬱なる高塔見ゆ。塔の下は水門にして濁水そこに流れ入る。窓に対して一台の織機《はた》あり。一人の女子その機を織る。綾糸は、青、赤、黄、白、黒の五色とす。糸は天井より垂れ下る。
夕暮。
女子 (機を織りつつ歌う)
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美しき色ある糸の
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