に、まずこの諸論派がいかなる関係をもって立ちしやを一言すべし。立憲政体設立の期を定めたる大詔の下りし年すなわち明治十四年より、条約改正論の騒がしかりし明治二十年に至るまで、この六年間は実に政論史上の第三期に属す。この期の政論が前期に比して大いに進歩せしことは言を俟たずといえども、もしその裏面よりこれを考察せばまたすこぶる厭うべきものあらん、吾輩かつもっぱら表面よりこれを見ん。
自由、改進、帝政、この三論派は互いにいかなる点をもって相分かるるや。吾輩はまた前期の沿革に連繋してこれを論定せんのみ、何となれば何事も断然滅するものなくまた突然生ずるものなければなり。自由論派と帝政論派とはその淵源を第一期の国権論派に有し、しかしてひとり改進論はかの国富論派より来たるや疑いなし、もし第二期に向かってその系統を求むれば、自由論派は急激民権派より生じ、帝政論派は折衷民権派より来たり、しかして改進論派は翻訳民権派の形たるに過ぎず。このゆえに既往の沿革に対しては自由・帝政の二派は兄弟にして改進の一派とは路人の関係なり。現時の政事に対しては改進・自由の二派ほとんど朋友にして帝政の一派とは仇敵の関係を有す。
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