んずるの政府と言う云々」と明言したり。神田孝平氏の財政論にも「人民は給料と費用を出して政府を雇い政をなさしむるものなり」などの語ありてすこぶる自由的論旨を猶予なく発揮したり。しかして政府は毫もこれらの論述に嫌忌を挾まず、当時は実に言論自由の世にてありき。
国権派の政治家、すなわち後の民選議院建白者は政策において粗豪の嫌いなきにあらざれども、その気質は※[#「にんべん+周」、第4水準2−1−59]儻《てきとう》正大を旨とし、学者の講談、志士の横議には毫も危懼を抱かず、むしろ喜んで聴くの風ありき。とくに旧幕吏の圧制に懲《こ》りまた欧米各国が言論の自由を貴ぶことを聞き深くこの点について自ら戒めたるがごとし。征韓の議は端なくこの政事家らをしてその位を去らしめ、廟堂に残りたる他の一派はここに至りてはじめて民間に強大の反対党を有したり。しかれどもこの分離がむしろ岩倉右府一派の希望に合したることは爾後の政策を見て推知するに足る。彼らは欧米回覧において各国の政府みな同主義の政事家をもって組織することを実見し、および政府の威力を保つために幾分か言論の自由を抑制することを発見したるや疑いなし。この分離以
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