貴族の制を生じ僧族の制を生じ、族制なるものはついに無限の権力をもって公衆に臨む、その社交原則たる左右平等は日に衰縮して上下尊卑の事弊はまた抑うべからず、世運ここに至りていわゆる自由主義なるもの起これり。これによりてこれを見れば泰西において自由主義の起これるはそのはじめ一の反動なり、時弊を匡正するがためにやむを得ずして起これるものなり。しかして自由主義のはたして人間進歩の大本たるを認めたるは実に近世のことのみ。
 それ東洋の人民は上制下服をもって社交の常則となし左抗右抵をもって変乱の階となす。これに反して西洋人は左抗右抵をもって人間の通法となし上制下服をもって衰替の源となす。西人かつて左抵右抗のもって社会平和を保つに足らざるを知り、貧富強弱の差よりもって貴賤尊卑の別自然に起こるべきを知り、ホッブスのごとき専制論者出でたり、また個々平等の事実に存するなくついに下等人類の牛馬と同じきものの実際に存するを知り、アリストートのごとき奴隷論者さえ出でたり。しかりといえども人心に浸潤する気質慣習は容易に回すべからず、専制論者の説はもと最上の権力を固くしてもって貧弱を救い富強を抑うるにありといえども、たまたまもって虐主暴人のために恰好の口実となり、専横の弊は乱離の弊に代わりて起こりますます社会の悪を長ずるに至れり、これよりその後政論はいよいよ事実の激動して発達し、あるいは宗教の理に基づき、あるいは道義の道に基づき、またあるいは法律経済の原則に基づき、かの無限王権および貴族特権を攻撃してしかして自由平等の説を唱うるもの屈指するに遑《いとま》あらず。その後もっともいちじるしく個人自由を主張して極度に達し、この自由を国家主権の上に置かんと欲してその説を得ず、ついに「社会は人民各自の相互契約に出ず」と説きたるはかのいわゆるルーソーの『民約論』これなり。
『民約論』の主義は実に個人自由主義の極度に達したるものなり、しかして仏国の人民はかつてこれが実行を試みその功をなさざりき。しかりといえどもこの人民が八十九年に宣言したる自由平等博愛の旨義と主権在民の原則とは欧州大陸を振動し、その余波として数十年の後、千余里の外ついに東洋のわが国にまで及ぶに至る。今の板垣伯および星、大井、中江の諸氏が唱道せし自由論派はすなわちこれなり。第三期において自由論派の起これるは実に第二期の過激民権派と相連繋してなお新自由主義に潤飾せられたるものなり、吾輩はこの論派のわが人民の政治思想に大功績ありしを知る、ただその説の時弊に切にして痛快なるに因り、あるいは青年子弟の速了するところとなり種々の誤謬を世間に播布せられ、その言の旧慣に反して新奇なるにより、老実なる父老あるいはこれを驚聞して国体に傷害ある邪説と目するに至る。けだし俗言は耳に入りやすく高談は世に容れられがたし、利害を棄て毀誉を排しもって真理を明らかにせんと欲するものは豈に尋常の熱心ならんや、吾輩は当時の自由論派の世に待遇せられたるを回想して深く感ずるところあり。
 およそ士君子の正理を説きて世道人心を感化せんとするや、その説の時に薄遇せらるるを憂えず、しかしてその理の世に誤解せらるるを憂う、当時は政府の方針すでに立憲政体を建つるに決し、明らかに聖詔をもってこれを人民に知らしめ、人民たるものすでにようやく民権の何物たるを略知したるの時代なり。この時に当たりて自由論派は何故に共和主義または破壊主義と目せられしや。思うにまた世の誤解多きに坐するのみ。この誤解たるや、あるいはその末流の徒、真にいまだ先覚者の説を翫味《がんみ》せずしてこれを誤解|敷衍《ふえん》するあり、あるいはその反対の人あえて主唱者の意を※[#「酉+斗」、第4水準2−90−33]酌《しんしゃく》せずしてこれを誤解弁駁するあり、またあるいは小人姦夫がことさらにこれを誣《し》いて邪説なりと伝うあり。この誤解たるやまったくこの三者に出ずるものというべし。吾輩のさきに国民主義を唱うるや、人あるいはこれを評して鎖国主義なり攘夷主義なり頑固主義なりと罵れり、これなお該論派の自由主義を評して共和主義なり無君主義なり破壊主義なりと言いしがごときのみ、俗人の迷夢を警醒して正理を唱うものは古今となく東西となくみなかくのごときの困難あり、草して自由論派に至り吾輩は深くここに感ずるなきあたわず。
 君は君たらずといえども臣はもって臣たらざるべからず。君主の権威は無限なり、ゆえにその命令を奉ずる政府の権威も下民に対してはほとんど無限なり、下民のその上に対する服従もまたしたがって無限なり、この際ただ君相の道徳もってわずかに万民の権利安寧を保するに足る、もし暴君暗相ありて虐政を行なうときは万民のこれに対する手段はただ弑逆《しいぎゃく》放伐あるに過ぎず。以上は西人のわが東洋政事を評する大略なり、
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