ビスマルク主義はむしろこの論派の是認するところに係る。近くこれを評すれば政論社会の通人ともいうべき論派なり。当時世の才子達人をもって居るものはみな競いてこの宗派の信徒となりしがごとし。
 国権論派とも称すべき他の一派は欧州大陸の学風を承《う》けて発生したり。この論派はあえて国富の必要を知らざるにあらざれども、その淵源はおもに近世の法理学にあるがゆえに、自ら権義の理を重んずるの傾きあり。吾輩は加藤弘之氏、箕作麟祥《みつくりりんしょう》氏、津田真道氏をもって国権論法の巨擘となすに躊躇せず。この論派はその細目において一致を欠きたるや疑いなしといえども、近世の政治思想、すなわち国家といえるものの理想を抱き、主権単一の原則を奉じ、もって封建制の弊を認めたる点には異同なけん。彼らはもとより自由平等の思想には乏しからず、しかれども国民として外邦に対交せんにはまず国権の組織を整理するの必要を説き、つぎに人民と政府との権義を講じて法政の改良を促したり。加藤氏の『国体新論』箕作氏の『万国政体論』のごとき、津田氏『拷問論』のごとき、当時の日本人をして法政上の新思想を起こさしめたるや少なからず、かの『国法汎論』『仏蘭西法律書』の類は『西洋事情』のごとく俗間に行なわれざるも識者の間には一時大いに繙読《はんどく》せられたり。
 この派の論者は説すこぶる高尚に傾き、かつ当時いずれも政府の顧問となり、著述講談に従事すること少なきがゆえに、その論派の強勢なる割合には民間の人心を感化したることかえって少なし、しかれども政府の当局者をして賛成せしめ、政治上および立法上に影響を及ぼしたることは国富論派の比にあらず。この論派は社交上において説を立てたることはなはだ少なしといえども、加藤氏はかの男女同権論に向かいては明らかに反対を表したり。政事上におけるこの論派の大意を見るにもとより改革論派たるに相違なきも、またあえて急激の改革説にはあらず、この論派は一方の論派のごとき反動的に出でずしてもっぱらその信ずるところを主張するものなりき、ゆえにその論旨はつねに温和着実の点に止まれるもののごとし。今、加藤氏が福沢氏に答えたる論文に付きその一部を左に挙げん。
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 先生の論はリベラールなり、リベラールはけっして不可なるにはあらず、欧州各国近世道の上進を裨補《ひほ》するもっともリベラールの功に在り、されどもリベラールの論はなはだしきに過ぐる時は国権はついに衰弱せざるを得ざるに至るべく、国権ついに衰弱すれば国家またけっして立つべからず、フランツといえる人の国家理論に「リベラール党とコムニスト党との論はまったく相表裏すれどもともに謬《あやま》れり、そのゆえはリベラール党は務めて国権を減縮し務めて民権を拡張せんと欲す、ゆえに教育の事、電信の事、郵便の事、その他すべて公衆に係れる事をも悉皆《しっかい》人民に委托してけっして政府をしてこれらの事に関せしめざるを良善となす、しかるにコムニスト党は務めて国権を拡張し務めて民権を減縮して農工商の諸業をも悉皆国家の自ら掌《つかさど》るを良好となす、けだし二党おのおの国権と民権の相分かるるゆえんを知らざればなり云々」と言えり、内養〔政府の仕事〕を軽しとして外刺〔民間の仕事〕を重しとなすのはなはだしきに至るときはついにこのリベラール党の論に帰する恐れなきあたわず。
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 国権論派の穏和進歩主義たることは以上の一説をもって概見するに足る。しかれどもこの論派は現在の事弊につきて無感覚なるにあらず、国富論派が日本人民の旧思想ただ虚礼虚儀に拘泥し卑屈服従偏倚して、個人的生存の気象なきを憂とし、もっぱらこの旧弊を破除せんと欲したるがごとく、国権論派は政権の分裂して人心散乱の弊を見、法制の粗濫にして官吏放恣の害を察し、泰西流の政理をもってこれを匡済《きょうさい》することを目的としたるがごとし。およそ政論派の起こるは偶然に起こるものにあらず、必ず時弊に応じて起こるを常とす、当時なお封建の余勢を承け三百年太平の後に当たり、人心散乱公同の思想なく、民風卑屈自立の気象なし、全国はただ依頼心と畏縮心とをもって充満せられたり。国富派はおもにこの依頼心を排斥せんと欲し、猶予なく利己主義を奨励す、国権派はおもにこの畏縮心を打破せんと欲し、あえて愛国心の必要を説きたり、愛国心公共心を説きたるは当時人心のいまだ一致せざるを匡済するに出でたるならんか、かつこの論派は主として政治法制の改良を唱え、いまだ立憲政を主張するに至らざるも、秘密政治・放恣政治の害を論じたるは明白なりき。今この二政論派を汎評するときは政法上において国権派は急進家にして国富派はむしろ漸進家たるに似たり、両派ともに進歩主義なりといえどもいまだ立憲政体の主張者たるには至らざりき。

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