彼自由主義をもって非藩閥主義となすのみ、自由平等の理を取りて世界共通の人道となすがごとき理想は彼さらにこれを抱懐せず。ただ国権を拡張するの一事に至りては自由論派より継承したるがごとくなるも、その主旨はすなわち大異同あり、国権拡張は自由論派にありて個人自由を伸張する方法なれども、大同論派にありてはやはり国民の利益および名誉を計るにほかならず。彼また痛く政府の欧化主義に対して反対し、泰西模擬の弊は一国の滅亡に係るとまでに攻撃したり。この点においては新論派たる国民論派とすこぶる相合し、大同論派の代表者たる後藤伯が当時すなわち十九年二十年の交において国民論派の代表ともいうべき谷子と偶然にも条約問題に反対せしはいちじるしき事実なりとす。藩閥政府を非とするの一事をもって政論社会を動かしたることは、政論ありて以来いまだ大同論派より強大なるものあらず、吾輩は非藩閥論派としてこの功績を認むるに躊躇せず、しかして二十二年の条約問題に付いてもこの論派の勢力少なしとなさず、吾輩はこの点において国権論派の一種となす。
第三 自治論派
前期において帝政論派と称するものは実に二個の分子を包含せり。その一種なるドイツ帝政崇拝主義の論者はこの期に至りてまったく欧化主義を賛成したり、世に称する自治論派と言うはすなわちこれなり。自治論派は何の理想もなきもののごとし。ただ西洋と対等の交際をなさんには日本を西洋の風に陶化せざるべからず、西洋の風に陶化せんためにはまず人々が自らその財産を殖して生活の程度を高めざるべからず、人間万事金の世の中、道徳節操のごとき権利名誉のごときみな金ありてはじめてこれを言うべし、金なきものはともに国政を議すべからず、金を貴くするには奢侈を奨励せざるべからず、以上は自治論派の大旨なるがごとし。この点においてかの経済論派または改進論派とややその傾きを同じくし、自由論派、大同論派、また国民論派とは氷炭相容れざるの関係あり。この点においてはほとんど第一期の国富論派を再述するものにして西洋崇拝の一事は経済論派の一部たるキリスト論派に賛揚せられ、金銭崇拝の一事は経済論派そのものに賛揚せられたるがごとし。自治論派は政論と言わんよりはむしろ一種の経済論と言うべし。
第四 皇典論派
皇典論派もまた旧帝政論派の遺類にして皇道をもって天下を治めんと欲するものなり。この論
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