「立憲政体を立つるの詔は吾人に自由を与え吾人をして自由の民たらしむるの叡慮に出ず、ゆえに自由を主張するは聖詔を奉ずる者なり、これに反するものは皇家を率いて危難の深淵に臨ましむるものなり」と。この尊王旨義ははなはだ明白なり、然りといえども当時論者は政府部内の人にあらずして一個の人民なり、しかしその述ぶるところは時の政府に忠告するにあらずして同胞人民に勧説するにあり、しからばこの立論は少しく奇なりと言うべし。試みにその立論を換言すれば「皇家すでに自由政体を人民に約したり、もしこの約を履まざればやむを得ず吾人人民は皇家を危くせざるべからず」と言うに均しからん、思うに論者の意豈にかくのごときものならんや、ただその地位を忘れてその立言を誤りたるのみ、しかれども当時帝政論派より痛く非難を受けたるはまったくかかる点にありしがごとし。
この論派は自由放任を主張することはなはだ切なりき。しかれどもその政府の職務に関する主説はかの改進党と大いに異なるものあり、改進論派は政府の職務をして社会の秩序安寧を保つに止まらしめんことを主張せり、しかして自由論派はいわく、
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政府を立つるはもと何等の精神をもってこれを立つるものなるか、要するに強が弱を虐するを防ぐがためのほかあらず、しかるに今やかえって強が弱を虐するの精神をもって富かつ智なる者をして貧かつ愚なるものを圧せしむるの政をなすは豈にその大理に悖《もと》るのはなはだしきものにはあらずや〔大坂|戎座《えびすざ》板垣氏演説筆記〕。
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これによりてこれを見れば、自由論派は自由論派と言うよりはむしろ一の平民論《デモクラシー》派と言うべし、政府は秩序安寧を保つに止まらず、なお貧富智愚の間に干渉してその凌轢《りょうれき》を防がざるべからず。これ実に自由論派の本領にして改進論派と相容れざるの点ならんか。自由論派と改進論派とはともに欧州のリベラールより来たれり、しかして甲は平等を主として乙は自由を主とす、甲は現時の階級を排して平民主義に傾き、乙は在来の秩序を重んじて貴族主義に傾く、もって両論派の差違を見るに足り、またもって自由論派の本色を知るに足るべし。
第五 改進論派
改進論派は真に泰西のリベラール論派を模擬するものなり、泰西においてリベラール論派と称する者は中等の生活を権利の根源とし個
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