東洋人はもとより上制下服の風習を完美とする者にあらず、しかれども虐政の起こるは実にこの風習の弊害にしてその常態にはあらずと信じたるがごとし。ただ世運日に進み事物のようやく複雑に赴くや、明君賢相のつねに出ずるを恃《たの》むべからずして、なるべく虐政を防ぐの法を設けざるべからざるに至る、日本において立憲政体の要用は実にこれより起これり。しかれども風習気質は容易に変ずべきにあらず、当時世人の立憲政体なるものを視るや、なお天皇の仁慈に出でたる一の良制を視るがごとく、衆みなこれを賛称するにかかわらず、真にその理を解する者はいまだ多からず、政事思想の幼稚なること誠にかくのごときものあり、その自由主義の世に誤解せられたる何ぞ怪しむに足らんや。泰西において自由平等の説ははじめ教理より起こる、一転して法理のために潤飾せられついに動かすべからざるの原則となれり、当時わが国にありては法理いまだ民心に容らず、いずくんぞよく自由平等の原義を解せん、そのこれを見て君相を軽んじ国体を破るの邪説となすはもとよりそのところなり、自由論派の薄遇、一は気質風習のいまだ化せざるによる者あり。
自由論派は猶予なく自由を唱えて政府の干渉を排斥し、猶予なく平等を唱えて衆民の思想を喚起せり。彼その説に以為《おもえ》らく、
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人は本来自由なり、人によりて治めらるるを甘んぜずして自ら治むるを勉むべし、自ら治むるの方法は代議政体に如《し》くはなし、人は本来平等なり、貧富智愚によりて権利に差違あるべからず、何人も国の政事には参与するの天権あり、これを実行するは代議政体に如くなし、
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と。この説やもって旧時の思想を攪破するに足る、しかれども旧時の思想を誘掖《ゆうえき》するにはいまだ充分なりというべからず。何となればこの論派はほとんど史蹟および現実を離れて単に理想上にその根拠を有すればなり。彼ただちに自由を主張す、しかして日本人は史蹟において古来専制の政に慣れいまだ自治の事を聞見せしことなく、かつまた事実においてその能力を自信するあらず、彼ただちに平等を主張す、しかして日本人は史蹟において永く貴賤階級の風習に染みかつ事実においても賢不肖の差はなはだしきを知る。史蹟および現実においてはすでにかくのごとし。これ当時世人のすこぶるこの論派に疑惑するゆえんにして、しかしてこの論派の起
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