に、まずこの諸論派がいかなる関係をもって立ちしやを一言すべし。立憲政体設立の期を定めたる大詔の下りし年すなわち明治十四年より、条約改正論の騒がしかりし明治二十年に至るまで、この六年間は実に政論史上の第三期に属す。この期の政論が前期に比して大いに進歩せしことは言を俟たずといえども、もしその裏面よりこれを考察せばまたすこぶる厭うべきものあらん、吾輩かつもっぱら表面よりこれを見ん。
 自由、改進、帝政、この三論派は互いにいかなる点をもって相分かるるや。吾輩はまた前期の沿革に連繋してこれを論定せんのみ、何となれば何事も断然滅するものなくまた突然生ずるものなければなり。自由論派と帝政論派とはその淵源を第一期の国権論派に有し、しかしてひとり改進論はかの国富論派より来たるや疑いなし、もし第二期に向かってその系統を求むれば、自由論派は急激民権派より生じ、帝政論派は折衷民権派より来たり、しかして改進論派は翻訳民権派の形たるに過ぎず。このゆえに既往の沿革に対しては自由・帝政の二派は兄弟にして改進の一派とは路人の関係なり。現時の政事に対しては改進・自由の二派ほとんど朋友にして帝政の一派とは仇敵の関係を有す。しかりといえども沿革の関係は争うべからざるものあり、自由派と帝政派とは国権論においてはなはだ相近かりき。自由派の代表者たる板垣氏の著『無上政法論』に言う、
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 民権は国権と関係を相なすものにして、民権は国権ありてしかる後安く、国権鞏固ならざればすなわち民権もまた安きことあたわざるなり云々
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と。しかして帝政派の宣言にいわく、「内は万世不易の国体を保守し公衆の康福権利を鞏固ならしめ、外は国権を拡張し各国に対して光栄を保たんことを冀《こいねが》い云々」と。さればその二派は国権と民権とを併せ重んじ、二者を別にしてその先後を立てざることほとんど同一なるを見るべし。しかるに改進派これに反しその宣言においては一語の国権に及ぶなく、その綱領においては、
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 内治の改良を主とし国権の拡張に及ぼすこと。外国に対しては勉めて政略上の交渉を薄くし通商の関係を厚くすること、
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と明言せり。自由・帝政の二派は国権民権を併せ重んじ、とくに自由派はむしろ国権を先にし無上政法を立つるためには政略上の交渉を深くするの傾きあり、し
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