し、大いに世道人心を動かすに至りてはすなわち一の論派と見做すにおいて妨げあらじ。この急進論派は他年の民権説に端啓を与えたるや疑うべからず。しかして当時にありては第一にその師友たりし国権論派の反対を受けただ一時の空論と見做されて止みぬ。これ豈に気運のいまだ熟せざるがゆえにあらずや。しかれども爾後一年を経ずして士論はこの急進論を奉じ、いわゆる民権論は政府に反対して勃興するに至る。
 民選議院論派は第一期の政論派の後殿《こうでん》として興り、第二期の政論派たる過激論派の先駆をなせり、吾輩はこの両期の続目においてかの政論史上記臆すべき一の出来事を略叙せざるべからず。当時新たに帰朝したる岩倉大使の一行は一の政策を抱き来たりしや疑いなきがごとし。思うにかの国権論派は民権論を主張するには至らざるもすこぶる自由主義を是認し、専制政治に向かって遠慮なく非難を加えたるに似たり、国富論派といえどもこの点においてはほとんど同一の論旨ありき。加藤氏が「軽国政府」と言える題にて述べたる短文にも「人民をしてあえて国事を聴く能わざらしめもって恣《ほしいまま》に人民を制圧せんと欲するところの政府は余これを目して国家を軽んずるの政府と言う云々」と明言したり。神田孝平氏の財政論にも「人民は給料と費用を出して政府を雇い政をなさしむるものなり」などの語ありてすこぶる自由的論旨を猶予なく発揮したり。しかして政府は毫もこれらの論述に嫌忌を挾まず、当時は実に言論自由の世にてありき。
 国権派の政治家、すなわち後の民選議院建白者は政策において粗豪の嫌いなきにあらざれども、その気質は※[#「にんべん+周」、第4水準2−1−59]儻《てきとう》正大を旨とし、学者の講談、志士の横議には毫も危懼を抱かず、むしろ喜んで聴くの風ありき。とくに旧幕吏の圧制に懲《こ》りまた欧米各国が言論の自由を貴ぶことを聞き深くこの点について自ら戒めたるがごとし。征韓の議は端なくこの政事家らをしてその位を去らしめ、廟堂に残りたる他の一派はここに至りてはじめて民間に強大の反対党を有したり。しかれどもこの分離がむしろ岩倉右府一派の希望に合したることは爾後の政策を見て推知するに足る。彼らは欧米回覧において各国の政府みな同主義の政事家をもって組織することを実見し、および政府の威力を保つために幾分か言論の自由を抑制することを発見したるや疑いなし。この分離以
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