の反動的論派にあらずして、将来永遠に大目的を有するところの新論派と言うべし。彼もとより自由の理を識認す。しかれども自由なるものは智識の進歩に応じて存することを信ず。彼もとより平等の義を識認す。しかれども平等なるものは道徳の発育とともに生ずることを信ず。智識は自由の本なり道徳は平等の源なり、自由の理明らかに平等の義立ちて、しかして国民的政治は全きを得。自治の能なきものは人に治められざるを得ず、自営の力なきものは他に制せられざるを得ず、自由は智識の進歩して固有の能力を用ゆるものほど多くこれを有す。貴賤の間に礼譲存し貧富の交に敬愛行なわれ、しかして後にはじめて平等の義、国民一致の実相を見るべし。国民論派はこの点よりして教育の要件たることを信ず。さきに国民論派のはじめて世に現われたるは『日本人』においてし、次にこれを発揚するにあずかりたるものはわが『日本』これなり。当初世人はその言論のすこぶる世の風潮に逆らうのはなはだしきをもって、あるいはこれを攘夷論と罵り、あるいはこれを鎖国説と嘲り、目するに排外的激論の再生をもってしたり。かつ固陋にして単に旧物を慕うの論者は一強援を得たるがごとくに感じ、争い起こりてこれに和し、ついに国粋保存と言える異称は守旧論派の代名詞となるに至れり。これ国民論派の発達を妨げたる一大妨障なりき。吾輩は『近時政論考』を草し終わらんとするに臨み、いささかその大旨を明らかにしてこれが妨障を除かざるべからずと信ず。今この編の終尾において吾輩はふたたび揚言せん、いわく、「君子のその真理を明らかにせんとするや、その説の時に容れられざるを憂えず、その理の世に誤解せらるるを憂う」と。吾輩はとくに国民論派のためにこれを言う。



底本:「日本の名著 37 陸羯南 三宅雪嶺」中公バックス、中央公論社
   1984(昭和59)年8月20日初版発行
底本の親本:「近時政論考」日本新聞社
   1891(明治24)年6月4日発行
入力:tsuru
校正:小林繁雄
2006年9月13日作成
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