雲が流れていた。その時約束通りに女流詩人文素玉が爽《さわや》かないでたちで現われたのである。彼女はその光景を見て驚いて立ち止ったが、直ぐ、大げさに手を拍ち腰をゆすぶってきゃあきゃあと笑いこけてから、
「おやおや、どうなさいましたの」
と駆け寄って来た。が、玄竜は気でもふれたようにただじろじろと彼女を物珍しそうに見上げただけである。老婆は魂消《たまげ》たと云わぬばかりにぶつくさ呟きつつ台所の方へ消え失せた。文素玉はひとりで当惑してしまったが、やっと気を立て直し渾身《こんしん》の力をふりしぼって彼を抱き起した。彼は昨夜酔いつぶれて帰ったなり寝床へ俯伏せになっておーおーと泣く中に寝附いていたので、洋服着のままであった。詩人は彼の洋服についた埃をはたいてやりながら、「一体どうしたというんですの」と云った。「ええ、玄竜さん、今日は又何かの霊感でも得たようね。早く行きましょうよ、もう直ぐ時間になりますのよ」
玄竜は痴者《しれもの》のように坐って気味悪げににたにた笑ってばかりいたが、その時ほんの少しの意識のかけらでも閃いたのであろうか、怪訝そうに首を長くして質ねた。
「何が?」
「おやまあ」彼女は玄竜の顔附にびっくりして後ずさってもじもじした。「……今日は祭日じゃありませんの、神社へ行きますのよ」
「神社?」
彼は何か六カ敷いことでも思い出すように問い返した。
「……そうよ」
すると玄竜は急にどうしたことかけっけっと笑い出した。神社という言葉が彼には突然忌々しく思われたのだ。神社の神は内地人の神であると誰も拝みに行かなかった頃、率先して内地人の群に投じ社頭にぬかずいた当初の彼は真に重大な人物で後光さえさしいろいろな役目もあった。けれど今はもうそうではないのである。寧ろ有象無象《うぞうむぞう》神社へ神社へと雲のように押しかけて行く朝鮮人達が憎くてならない位だった。文素玉は身の毛もよだつようにぞっとして身をすくめたと思うと、
「行って来ますわ」
とかすかに一言云い捨ててほうほうの態で逃げ出した。それを見て玄竜は気味よげにけらけらと嗤ったが、つと驚いたように立ち上った。空は益々|鬱陶《うっとう》しくなり雲が北の方へ北の方へと押し寄せて行く。咄嗟に彼は文素玉の温かくしめっぽい肢体に対する慾情にかられ、これは今こそ掴まえねばならぬぞと考えたのだ。その足で彼は慌てて崩れかかりそうな
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