「莫迦に大村君は遅いですな、一人で帰ったのでしょうかな」
 と田中に向って云った。彼は玄竜が大村を雷のように怖れていることを知っているからである。
「え、大村君?」果して玄竜は一時に酔いがさめたように目を大きくしてぐっと体を起した。「大村君、大村君と一緒だったんですか?」
「うん、そこらで何か買物をすると云っていたがね」
 怪訝《けげん》そうな顔をしてから答える田中の話を聞いて、あ、これはいけないと慌てて、
「そうなんだ」と訳の分らぬことを叫んだ。「だから大村君と力を合わせて、朝鮮民族を改良するために努力しているんだ。問題は簡単なんだ。朝鮮人|悉《ことごと》くが今までのような固陋《ころう》な思想からぬけ出て、東亜の新事態を確認し、そしてひとえに大和魂の洗礼を受けることなんだ。それがため僕は人から気違いとまで云われながらも、大村君のU誌にいつもセンセイショナルな論文を書き立てたんだ」そこで急に声をひそめて首を突き出し、
「大村君は僕のことを何とも云わなかったのかい?」と訊いた。
「いや別に……」
 と田中はお茶をにごしたが、玄竜は又急にもとのような調子にかわって、
「大村君は実に当代稀にみる立派な奴だよ。だから僕など民間にいながら率先して全力を尽し助けているんだ。だが惜しいかな、好漢大村君も芸術家が分っていないんだよ、真の芸術家というのが……だから田中、君のような作家が大いに啓蒙してやるべきだと思うんだよ。ハムレットでもあるまいに、僕にお寺へ行けと無茶を云うんだから愉快なんだよ。それがね、尼寺へならともかく禿坊主のところへなんだよ。ねえ、僕がオフェリヤかよ? 僕はこう見えても憚《はばか》り様ながら頭はしっかりしているんだ!」
 角井はいかにも憐れむように田中に嗤ってみせつつ、すっぽらかして出て行こうというふうに、その洋服の裾を引張った。ところが玄竜が妙に喉にからんだ声を張り上げて強がりを云っている時、当の大村が悠然と入口の方からはいって来た。見るからに四十がらみの堂々とした立派な紳士である。玄竜はすっかりうろたえて、へーと笑いながら首筋に手をやるとぺこんと頭を下げた。角井は傍で意地悪い声を出してけけけと突然嗤うのだった。大村はここに玄竜がいるのを見て急に不機嫌になって呶鳴った。
「どうしたんだ、君は又こんな所へ来てくだをまいているのか」
「へー大村さん、へ、どうも」
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