り上げて子供達を追い散らした。韓青ビルの前あたりからは歩道にも夜店が出張っていて人々の流れで雑沓し、売子達の掛声が喧しく響き返っている。丁度その夜店並びの入口のところでは、物見高い連中に囲まれて白い頭巾をくるんだ百姓男が酔いつぶれたらしく手を振りつつ、何かを喉につまった声でしきりに喚いている。一体どうしたのだろうと首を出して覗いてみれば、男の傍には支械《チゲ》が立てられ、そこには大きな桃の花の一杯ついた枝々がのっかっていた。それで支械は花束に埋れた形で、首をうな垂れている花々はいかにもいたいけである。
「わっしあ嬶《かか》を貰った年に二人でこの桃の木を植えたんでがす。その嬶が死にやがっただ。その嬶がよ」と百姓は叫んだ。「白米の重湯が食べてえちゅうので地主さんところへ借りに行った間に死にやがっただ。さあ、わっしあ桃の枝をぶった切って担いで来たんでがすぞ、買って下せい、一枝二十銭、多くはいらねえ、二十銭でええ」
山をなす人々は面白そうに顔を見合わせながらげらげらと笑い合った。玄竜は懐手をしたまま人垣を押して中の方へぬっと現われ出た。そこで暫くの間目尻を下げて、いかにも感慨無量といった様子でしげしげ桃の枝を打ち眺めた。何故かしら惻々《そくそく》と胸の中を伝わって来る悲しみを覚える。彼は何かに取り憑かれたようにつかつかと支械の傍へ進んで一枝を取り上げじいっと思いをこめて見上げた。今を満開に咲き誇っている薄紅色の花が二十程もつづらなりに枝をおおうている。
「さあ、旦那買って下せい。わっしあこれをたたき売って酒を飲んで斃《くたば》ってみせまさあ、え、皆どうして笑うんでがす、買って下せい。笑うでねえ、買って下せい。……へ、これは有難え、有難え」
片方の手でばら銭を捜していた玄竜が白銅貨を二つ三つ掴み出してぽんと投げ出したのだ。百姓は狂喜して頭を地につけ拝んだ。それを尻目に玄竜は黙ったまま桃の枝を肩にかけると人々をかき分けるようにして再び人混みの中へ出て来た。その時彼は自分の恰好からか不意にそれといった脈絡もなしに十字架を負えるキリストを憶い出し、自分にもその殉教者的な悲痛な運命を感じようとした。自分こそ或る意味では朝鮮人の苦悶や悲哀を一上身に背負って立ったような気がせぬでもなかった。成程朝鮮という現実であればこそ、彼のような人間も生れ出、且つ社会の中をのさばり廻ることが許され
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