ち樹てそしてその独自性を伸長させるべきで、そのことは又結局は全日本文化への寄与でもあり、又ひいては東洋文化のため世界文化のためでもある等と語っていた。玄竜は一人一人の顔をじろりじろりと眺め廻しつつ、恰《まる》で人を食ったようににたにた嗤《わら》ってばかりいたものだ。一瞬間若い血気盛りの評論家李明植の鋭い視線とかち合ったことを覚えている。彼は思わずその時ぎくりとした。何だか李はぶるぶる神経の一つ一つをふるわせているようである。突然李は興奮のあまりに、喉元をごくごくさせつつ、
「それは自明なことだ」と叫ぶのだった。「朝鮮語でなくては文学が出来ぬという訳ではない。僕は言語の芸術性のためにのみこのことを云っているのではない。何百年という長い間|固陋《ころう》な漢学の重圧のもとで文化の光を拝むことが出来なかったわれわれが、曲りなりにでもだんだんとわれ等の貴い文字文化に目覚めて来た今日ではないか。李朝五百年来の悪政の陰に埋れた文化の宝玉を発掘し、それによって過去の伝統を受け継ぐために、過去三十年間われ等はどれ程血みどろな努力を払ってこれ位の朝鮮文学でも打ち樹てたのであろうか。この文学の光、文化の芽をどういう理由で僕達の手で又葬るべきだと云うのか。だが僕はこれのために又|徒《いたず》らに感傷的になって云うのでもない。実に重大な問題は朝鮮人の八割が文盲であり、しかも字を解する者の九〇%が朝鮮文字しか読めないという事実なんだ!」
その時玄竜は突然きききと嗤い声をたてた。
「黙れ!」
「黙れ!」
と云う声が嵐のように起った。
「まあ、いい」と李は目をつぶって気を押し静めようと努めながら呻くようにふるえを帯びた声で論を進めた。「朝鮮語での述作がこの人達に文化の光を与える為にも、はた又彼等を愉《たの》しませるためにも、絶対的に必要なのは論を俟《ま》たぬことではないか。今も厳として朝鮮文字の三大新聞は文化の役割を立派に果しているし、朝鮮文字の雑誌や刊行物も民衆の心を豊かにさせている。朝鮮語は明らかに九州の方言や東北の方言の類《たぐい》とは違う。もちろん僕は又内地語で書くことを反対しているのでもない。少くとも言語のショービニストではないのだ。書ける人はわれらの生活や心や芸術を広く伝えるために大いに働いて貰わなければならない。そして内地語で書くことを慊《あきた》らずとする者、又は実際に書けぬ
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