一つの違った表わし方だと思うのです。きっと春雄は愛情というものに餓えているのに違いありません。あなたに素直な愛情をよせることも出来なく、又あなたの愛情を純真に受けいれることの出来ない春雄でした。だがそれはだんだんとなおって行くことと思いますが……」
「そうでしょうか」彼女は寧ろ絶望的に深く溜息をついた。
「……あの子が……」
その時に戸口から一人の朝鮮服を着た老婆が転ぶようにはいって来た。私はそれとなしに、彼女が李の母であることが一目見て分った。それで私は少しばかりベッドの傍を離れて立った。老婆は貞順の無慙な姿を見附けるなり、ふーと息を吐き出して朝鮮語で慨《なげ》いた。
「何ちゅうむごい事だよ。きっとあの悪党に天罰がおちるだよ。なあ、春雄の母ちゃん。わしを分るのけえ、李チャンの母だよ。李チャンの。しっかり気をもって早く治すのでっせ、分ったけえ」
貞順は指先をふるわせて辺りをまさぐった。老婆はその手をとった。
「傷でも治ったら今度こそ見附からねえように郷里へ逃げて帰るのでっせ。いつかみてえに又戻って来るでねえだよ。何もええことああるもんでねえだろ」
貞順は呻いた。老婆は急に何か思い出したとみえ急いで風呂敷包をほどくと、夏蜜柑を二つばかり取り出した。
「夏蜜柑だよ。食べると喉の乾きが少しはなおるかも知れねえよ」そこで彼女は一生懸命になって皮をむきはじめた。
「李チャンがおばさんにやってくれと買って来たんだよ。あれも今日から免許状が下りて一人前になったちゅうて喜んでな」
「どうぞお大事にして下さい」やはり私はその場を外した方がいいと考えたので、そう云うと戸口の方へ進んで行った。その時何か春雄の母の息苦しそうな、ほそぼそした朝鮮語が聞えたので私ははっと立ち止った。彼女は老婆に向って朝鮮語で哀願するように云うのだった。
「おばさん。……妾、やはり帰りませんわ……それに妾の顔にひどい傷が出来るそうですの……そうなれば……あの人……妾を売り飛ばそうとも云えませんし……誰もこんな妾なんか買いはしませんもの……」それから痙攣でも起したように急に起き上ろうとした。
「あ!」
「お前さん、どうしたんだよ」老婆は慌てて彼女を抱えて寝床の中へ落着かせた。
「……何か……音がしたの」彼女は気でもふれたように息を切らした。「おばさん……春雄が来るのです。そうれ妾を訪ねて来るのです……」それ
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