ひたり込むことをさし止められたのに違いない。彼はおおっぴらに母に抱き附くことが出来ない。だが「母のもの」に対する盲目的な背拒においても、やはり母に対する温かい息吹はひしめいていたのであろう。彼が朝鮮人を見れば殆んど衝動的に大きな声で朝鮮人朝鮮人と云わずにはおれなかった気持を、私はおぼろながらに理解出来ないでもない。だが彼は私を見た最初の瞬間から朝鮮人ではあるまいかと疑いの念を抱きながらも、始終私につきまとっていたではないか。それは確かに私への愛情であろう。「母のもの」に対する無意識ながらの懐かしさであろう。そしてそれは私を通しての母への愛の一つの歪められた表現に違いない。その実彼は母の病院へ訪ねて行くかわりに私の所へやって来たのかも知れないのだ。母を訪ねる気持と何が違うのであろう。こう考えて来ると私はたとえようもない悲しい気持になって、彼のいが栗頭を撫でてやりながら、強いて笑顔をつくり、
「母ちゃんの病院へ行こうかい?」と質ねてみた。
 彼は悲しそうに首を振った。
「どうして?」
 彼は答えなかった。
 だんだん嵐もしずまりかけたのであろう。小雨が時々思い出したように軒をふりたたいている。私は窓を開けてそろそろ晴れ渡りそうな空を眺めた。遠い北の方の空にはちぎれ雲の合間から、二つ三つ星さえ光り出していた。
「もう晴れそうだよ、ねえ、君、これから一緒に見舞に行ってみる?」
 答えがない。見れば彼は蒲団をすっぽりと被っていた。
「父ちゃんは行ったのかい」
「行くもんか」後は蒲団の中でやや反抗的に云った。
「おかしな父ちゃんだね。母ちゃんが気の毒じゃないか」
「…………」
「それなら父ちゃんの所へは帰るつもりだね。父ちゃんだってきっとうちで心配しているよ」
「…………」彼は顔を出してすねたような目附をした。「僕はここでいいよ」
「うん、そりゃ……」私はしどろもどろ仕方なさそうに云った。「ここでもいいけれど……」
 丁度数学の授業がひけたとみえて、廊下がどやどやざわめき出した。暫くするとドアにノックがして李が悄然と現われたが、山田の寝ているのを見るとはっと顔をこわばらせた。私はいささかあわて気味に、外へ出て話しましょうと彼を廊下へ連れ出した。
「先生は朝鮮人呼ばわりされるのに困って」と彼は罵るように叫んだ。「あいつをいよいよ抱き込もうと云う訳ですね」
「失礼なことを云うな」私
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