その後というもの、私は彼のことをあまり気にしなくなった。その中に彼と私の間にはまことに奇妙な事件が一つ起ったのである。――
 その頃私はこのS大学協会のレジデント(寄宿人)だった。ただ私の仕事といえば、そこの市民教育部で夜の二時間程英語を教えていればよかった。それでも場所が江東近くの工場街で、習いに来る人々が勤労者であるだけに、二時間の授業といっても骨が折れた。昼間へとへとに仕事で疲れている彼等であってみれば、余程こちらが緊張してかからない限り、みなはうつらうつらまどろんでしまうからである。
 夜の部で元気なのはやはり子供部である。私たちの教室のすぐ下がその教場になっていて、いつもわあっと彼等の騒ぎ立てる音が聞えて来た。私の生徒たちはその音に驚いて腰を掛けなおすといった工合である。古いピアノがきんきん鳴り始めると、子供達は一斉に「われらはすこやかに、いざ育とう」という歌を、屋根でも飛んでしまいそうな元気な勢で張り上げた。
(もう時間だな)と思うが早いか、今度は豆でも挽き立てるような騒ぎが湧き上る。子供たちは階段をわれ先にと駆け上って来るのだ。授業を終えて教室を出ようとした私は、すぐに子供たちにつかまって、全《まる》で鳩飼いじいさんのようになるのだった。甲は肩にのり、乙は腕にすがりつき、丙はしきりに私の前を小躍りしながらはね上る。幾人かは私の洋服や手を引張り、或は後から声を立てて押しやって私の部屋まで来る。そこで戸を開けようとすると、もはや先からはいって待ち伏せていた子供たちが、一生懸命になって開けさせまいとしている。こちらでも子供たちが蟻のようにたかってしきりに開けようとする。こういう時にきまって山田春雄ははたから邪魔をするのだった。
「ほっときなよ。ほっときなよ。あーあーあー」
 と叫びながら、私の鼻先の前で気味よさそうにひょうきんな踊りをしてみせた。とうとうこちらが凱歌を上げてなだれ込んで行くと、室内では先から待ち構えていた六七人の少女がきゃあきゃあしながら悦び立てた。
「南《みなみ》先生! 南先生!」
「あたいも抱っこして」
「あたいも」
「あたいも」
 そう云えば私はこの協会の中では、いつの間にか南《みなみ》先生で通っていた。私の苗字は御存じのように南《なん》と読むべきであるが、いろいろな理由で日本名風に呼ばれていた。私の同僚たちが先ずそういう風に私を呼んで
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