も仰々しくそれをほめそやさねばなるまいと考えたりする。
とはいうものの故郷に帰りたいという思いは、ひとえに母や姉や妹、それから親族の人々に会いたいという気持からだけではない。やはり私は自分を育んでくれた朝鮮が一等好きであり、そして憂欝そうでありながら仲々にユーモラスで心のびやかな朝鮮の人達が好きでたまらないのだ。東京でいつもせせこましい窮屈な思いで暮している私は、故郷に帰れば人が変わったように困る程冗談を云う。友達にはむろん先輩にさえ、気がどうかしていると思われる位に実のない冗談を持ちかける。もともと人一倍そういったところが好きで、深刻そうに真面目ぶるのが苦手の性分でもあるが。だから帰れば家でも毎日を冗談と笑い話で暮しているようなものである。そういえば又思い出すが死んだ姉などは殊に私とは調子が合って、何事にも声を出して笑い、笑ってはついに腰が折れるまでに笑いこけたものだ。だが時々急にこの地で致し方ない程の郷愁にかられると、大概は神田の朝鮮食堂にでも行って元気な学生達の顔を嬉しそうに眺めたり、朝鮮歌謡の夕だとか野談や踊りの催しなどをさがしては出掛ける。それも今は少くなったが。――そこで移住同胞達の笑顔を見たりはしゃぐ声を聞いたりすると、時には思わず微笑ましくなり、又涙ぐましくも悦に入ったりするのだ。あの朝鮮語のふざけた弥次《やじ》を聞くのが又大好きと来ている。思わず吹き出してしまう。これはどうにか一種のセンチメンタリズムと云えたものかも知れない。
朝鮮の空は世界のどこにもないと云われる程、青くからりと澄んでいる。早くその下を歩きたいと此頃思い出したので、どうにもしようがなくなって来た。こうして私はいつも朝鮮と内地の間を渡鳥のように行ったり来たりすることになろう。何しろ母も年が年なので、あの澄み渡った青空の下、どこか好きな大同江の流れでも見下ろされる丘の上に住みたいものと心では考えている。
底本:「光の中に 金史良作品集」講談社文芸文庫、講談社
1999(平成11)年4月10日第1刷発行
底本の親本:「金史良全集 4[#「4」はローマ数字、1−13−24]」河出書房新社
1973(昭和48)年4月30日
※初出:「知性」
1941(昭和16)年5月号
※底本にあった割り注および注は、編者もしくは編集者が付けたものと判断し、削除した。
※本文中の「内地」とは、当時日本の統治下にあった朝鮮などの地域との対比の上での日本を指す。
入力:大野晋
校正:大野裕
2001年1月1日公開
2005年12月16日修正
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