ってやってみようかと考えた。だが何故となくおっかなかった。隣りの部屋に一人の客がやって来たが、言葉がどうも郷里の北朝鮮系である。私はその夜中に客の寝ている部屋へはいって行った。そして密航に対して意見を求めた。すると客はしげしげと私の顔を眺めてから、
「よしなせえ」と一言のもとに反対した。今も思い出すことが出来るが、彼は小さな口の上に黒い鼻髭のある三十男で、目をしょっちゅうしばたたいていた。その目をしばたたきながら、彼は一晩中密航に関していろいろな話をしてくれた。彼も内地へ行っていたが、渡る時はやはり旅行券がなくて密航をしたというのである。船は小さくて怒濤に呑まれんばかりに揺れるし、犬や豚のように船底に積み重ねられた男女三十余名の密航団は、船員達に踏んづけられ虫の息である。喰わず飲まず吐瀉《としゃ》や呻きの中で三日を過ぎ、真暗な夜中に荷物のように投げ出されたのが、又北九州沿岸の方角も名も知らない山際だったそうである。船の奴等は結局どこへでも船を着けて卸《おろ》してから、見付からぬ中に逃げればいい訳である。だから時には奴等は内地へ来たぞと云って、南朝鮮多島海の離れ小島にぞろぞろと卸して影をくらますことさえあるそうである。兎に角内地へ渡って来たのは来たが、皆はひどい船酔いと餓えに殆んど半死の有様で、夜が明けるまでぶっ倒れていた。彼だけはしきりに気を立て直して、行先をさぐった。そして灯のまだらについている小さな町の方をさして、這うように山を越え逃げ込んだのだった。ぼろぼろでも洋服を着ていたからよかった。だが他の連中は白い着物を着たまま群をなして徨《さまよ》い歩く中に見付かって、再び送還されたのに違いない。私はとうとう密航を思い切らねばならなかった。
「じゃが今は内地も不景気でがして、屑屋も駄目じゃけん、内地さ行くなああきらめるがええ」と、彼は結んだ。
 翌日の朝彼は郷里へ帰るといって、やはりぼろぼろの洋服で小さな包みを一つ抱え、釜山鎮という駅から発って行った。私は余りの心寂しさに、彼を親でも送るような気持で、遠くから手を振って見送ったが、この小さな鼻髭を持ったおじさんは今どこで何をしているのだろう。
 その後私は北九州の或る高校に籍をおくようになったが、この地方の新聞には毎日のように朝鮮人密航団が発見されて挙《あが》ったという記事がのる。それを読んでいく時は、何とも云えない
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