云はせると、「人」を「人」として描くといふ事は、その画家の知識が入るのであつて絵画は純粋に感覚を以てすべきものであるから知識の混入は不純であるといふ。眼に見えて、一つの色として、塊《マツス》として、光として蔭として、「人」でも花でも鳥でも山でも草でも家でも何でもさういふ、現実上の事は考へずに描くのが本当の絵画的なやり方であるといふ考をそれ等の流派の人はよく唱へたものである。
が、これ等の考は、吾々が描かうとする対象を見る時、只それ等を色として光として蔭としてのみ感じるのが、絵画的に純粋であると断定したところに致命的な誤りがある。絵画又は造形芸術の対象となり得べきものは決して、形や色の感覚のみに限られない。絵画上の対象となり得る感覚には、吾人の知覚、想像、生活上の経験聯想、及びそれ等に対する価値上の批判等によりて引き起こされる色々の「感じ」もこれを、造形上の利益となし得る、たとへば、人物の顔を描くに当り、その人の如何にも善良らしい風貌や、眼に宿るやさしさ、「心」等は、これは決して、色の感覚でも形の感覚でもない、もとより色、形によりてそれ等は見えるが、色、形そのものの感覚ではない。しかし、さうだからとて、それを、画に描き得ないものでもなく、従つて、描いてはならぬものではない。描き得ないものを強ひて描かうとするなればそれは誤である。印象派其他の考へはこれ等のものを絵画に於て描く可らずとしたところにその致命的誤りがある。
即ちこの場合は、その人物の善良さとか眼の愛の心持とか云ふ様なものは、一つの造形的感覚となり得るのであつて、これを形の上に或る法をとれば充分描き得るのである。
それは画家が観照し得さへすれば充分に、感覚される一つの造形上の感覚である。形として色としてそれを感じるのではないが、しかし、造形芸術以外の何ものに於ても表出出来ない一つの芸術上の表現要素を其処に見る事は確実である。画家は只それを色と線と形とトンによりて表はすのである。
人物を描くにあたつて、それを色の美として、塊の美として光と蔭の美として表はす事は勿論悪くはなからう。しかし「人」を「人」として描き得る事は更に人間として又画家として喜びであらねばならない。
話が大分横にそれたが、これは、人物画としての婦人画の御話をする前に一応、皆さんに解つて頂き度いためと、もう一つばかりしていろ/\美術上の御話をしたいためとかく多少わざとわきへそらしたのである。
さて、これで人物画といふものが、美術の上で殆ど最も重きをなすものだといふ事を説明したが、その人物画の中、何と云つても婦人は、「美」に歩近《あゆみちか》いだけに、古来、男の画よりも御婦人の画の方がどうしても一般に気受《きうけ》がよろしい。
よく男性美などと云ふ事を云ふ。しかし、所謂男性美といふものは、どうも少し粗野で簡単で、概念的になりやすい。私は画家として男性美といふ語はあまり好まない。
男性美といふ考は、婦人美又は曲線美の持つ、「綺麗」とか美くしいとかいふ、美の通俗性に対してその逆を行つたもので、力の美といふ事を、綺麗とか、優美とかいふ事より一層、高踏的なものと考へたものである。
しかし、「力」の美といふものは必ずしも、綺麗とか優美とかいふ美よりも高踏的なものとは云へない。又綺麗とか優美とかいふ事は必ずしも、通俗な美でもない。力の美にしても又は優美な美くしさにしても、只大切なのはその美の内容である。美はその表はれる形式の性質によつて必ずしも深浅を定められない。美そのものが深ければ、如何なる形式に於て表はれても深いのである。只綺麗とか優美とかいふ事は、美の表はれ方に於ては最も普遍的であつて、分りやすいものであるため、大体に於て、美術に於ける最も深い感じは「綺麗」とか優美とかの美の他に於て表はされる場合が多い。しかし、必ずしも絶対にさうなのではなく、フロレンスの古い大家のフラアンヂエリコとか、レオナルドの素描《すがき》とか、支那の古大家李竜の或る画などは、一見して優美に、端麗で、美くしいものでありながら而もその深さは世界に幾つといふ程の深さを表はしてゐる。
だから、必ずしも、綺麗なものは浅いといふ事は云へない。力の美といふ事は、綺麗といふ事から見ると一歩、美の形式としては進んではゐる。つまり幾分専門的な審美感がないと分りにくい美的要素である。しかし、それだからとて、力の美が綺麗の美より深いといふ事は云へないのは前述の理由で明かである。
のみならず、力の美といふものは、綺麗とか優美とか云ふものよりは、美の形式としてずつと、局部的な、そして狭いものであるだけに、どちらかと云ふと、力の美だけで独立して最も深い美的主観を表はすといふ事はむつかしい事になる。だから、その主観さへ深ければ、力の美でも最も深いものを
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