pを普及するにありという事を、年来の持論にしているが、実はその機械の応用には資金がいるのである。機械の応用の有益にして必要なることはだれも認めるけれどもこれを利用するだけの資本に乏しいのである。しかし以上述べきたりたるがごとく、皆が奢侈ぜいたくをやめれば、その入用な資本もすぐに出て来るのである。今日では資金の欠乏のために農事の改良も充分に行なわれぬというけれども、すでに資本が豊富になれば、その農事の改良なども着々行なわれることになるであろう。そうすれば米もたくさんできるであろう。米もたくさんできればおのずから米価も下落するが、しかしそれと同時に他の生活必要品もすべて下落するのであるから、米を買うている人々が仕合わすと同時に、米を売る農家の方もさらにさしつかえないわけである。米価の調節などといって、しいて米の値を釣り上げるために無理なくふうをする必要もなくなるのである。
今日ドイツが八方に敵を受けて年を経て容易に屈せざるは何がためであるか。開戦当時においては、ドイツは半年もたたぬうちに飢えてしまうだろうと思われた。しかも今に至ってなお容易に屈せざるは、すでに述べたるがごとく、驚くべき組織の力により、開戦以来、上下こぞっていっさいの奢侈ぜいたくを中止したからである。たとえばこれを食物についていえば、今日ドイツでは、パンや肉の切符というものがあって、上は皇室宮家を始めとし、各戸とも口数に応じて生活に必要なだけの切符を配布されることになっている。万事こういう調子で、すべて消費の方面はこれを必要の程度にとどめると同時に、働く方面はすべての人がおのおのその能をつくすということになっている。だから容易に屈しない。過去数年の間、世界一の富国たるイギリスが、今では参百億円以上に達する大金を費やして攻め掛けているけれども、とにかく今日まではよくこれに対抗し得たのである。これをもって見ても、皆が平生の奢侈ぜいたくをすべて廃止したならば、いかにそこに多くの余裕を生じ、いかに大きな仕事を成し得らるるかがわかる。私は日本のごとき立ち遅れた国は、ドイツが戦時になってやっていることを、平生から一生懸命になってやって行かねば、到底国は保てぬと憂いているものである。
奢侈ぜいたくをおさゆることは政治上制度の力でもある程度まではできる。しかし国民全体がその気持ちにならぬ以上、外部からの強制にはおのずから一定の限度があるということは、徳川時代の禁奢令《きんしゃれい》の効果を顧みてもわかることである。それゆえ私は制度の力に訴うるよりも、まずこれを個人の自制にまたんとするものである。縷々《るる》数十回、今に至るまでこの物語を続けて来たのも、実は世の富豪に訴えて、いくぶんなりともその自制を請わんと欲せしことが、著者の最初からの目的の一である。貧乏物語は貧乏人に読んでもらうよりも、実は金持ちに読んでもらいたいのであった。[#地から1字上げ](十二月十四日)
十二の三
さてここまで論じてきたならば、私はぜいたくと必要との区別につき誤解なきようにしておかねばならぬが、元来今日まで行なわれて来た奢侈《しゃし》またはぜいたくという観念には、私の賛成しかねるところがある。けだし従来の見解によれば、ぜいたくとしからざるものとの区別は、もっぱら各個人の所得の大小を標準としたものである。たとえば巨万の富を擁する者が一夕の宴会に数百円を投ずるがごときは、その人の財産、その人の地位から考えて相当のことであるから、その人たちにとっては決してぜいたくとは言われないが、しかし百姓が米の飯を食ったり肴《さかな》を食ったりするのは、その収入に比較して過分の出費であるから、その人たちにとってはたしかにぜいたくである、こういうふうに説明して来たのである。しかし私がここに必要といいぜいたくというは、かくのごとく個人の所得または財産を標準としたものではない。私はただその事が、人間としての理想的生活を営むがため必要なるや否やによって、これを区別せんとするものである。
ただし何をもって人間としての理想的生活となすやについては、人の見るところ必ずしも同じくはあるまい。しかして今私は、自分の本職とする経済学の範囲外に横たわるこの問題につき、自分の一家見を主張してこれを読者にしうるつもりでは毛頭ないけれども、ただ議論を進むる便宜のためにしばらく卑懐を伸ぶることを許さるるならば、私はすなわち言う。人間としての理想的生活とは、これを分析して言わばわれわれが自分の肉体的生活、知能的生活《メンタルライフ》及び道徳的生活《モーラルライフ》の向上発展を計り――換言すれば、われわれ自身がその肉体、その知能《マインド》及びその霊魂《スピリット》の健康を維持しその発育を助長し――進んでは自分以外の他の人々の肉体的
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