≠゚たけれども、元来彼ロイド・ジョージは、自ら反《かえり》みて縮《なお》からずんば褐《かつ》寛博《かんぱく》といえども吾《われ》惴《おそれ》ざらんや、自ら反みて縮くんば千万人といえども吾|往《ゆ》かんという流儀の豪傑なれば、なんじょうかかる事にひるむべき。いよいよ予定の日、予定の場所で大演説会を開くこととなった。そこで当日は警察官は総出となってタウン・ホールの界隈《かいわい》を警戒し、建物の内部にもおおぜいの警察官が潜伏して万一に備えた。しかしこれらの準備もついにすべて無効に帰した。ロイド・ジョージがその雄姿を演壇に現わすや否や、場内の聴衆はひそかに携えきたれる各種の飛び道具をば演壇目がけて一斉に放射し、場外の群衆もまたたけり狂うて、窓を破り扉《と》を押しのけて乱入すという勢いに、ロイド・ジョージはついに一語をも発するを得ず、演壇の後方なる一小室に難を避け警官の制帽制服を借りてにわかに変装し、わずかに会場を抜けいで、からくも一命を拾うたのであった。この時人民の重傷を負える者二十七名、即死一名、警官にして重傷をこうむりたる者また少なからざりしといえば、もってその騒擾《そうじょう》のいかにはなはだしかりしかを知りうると同時に、平生冷静沈着なる英人がかほどまでの騒動を惹起《ひきおこ》せしことは、その激昂《げきこう》の度のいかにはなはだしかりしをも知るに足ると思う。
 エヴァスンは彼を評して「ロイド・ジョージ以上の militant peacemaker(戦闘的平和主張者)はかつて見たことがない。彼は南ア戦争当時において、ブーア人が英軍に反抗して戦いしと同じ激しさをもって、戦争に反抗して戦った」と言っておるが、実にそのとおりだと思う。

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 叔父《おじ》のリチャード・ロイドはその甥《おい》を理想的に育て上げることを神聖かつ最高の義務と信じて、これにその一身をささげた。このゆえにこの叔父によって育てられたるロイド・ジョージはその神聖かつ最高の義務と信ずるところに向かって、常にその一身をささげつつある。
 四歳にして父をうしない、二人の孤《みなしご》が母を擁して相泣きし時、身をささげて彼らの急を救うた者は叔父のリチャード・ロイドであった。叔父はこれがために一生めとらず、彼らとともにつぶさに辛酸をなめ尽くした。その恩義、その慈愛は
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