現代世界の政治家中ロイド・ジョージは私の最も好きな政治家である。けだし彼は弱者の味方である。ことに彼は、不幸なる弱者が無慈悲なる強者のために無道の圧制に苦しむを見る時は、憤然としておのれが面《おもて》に唾《つばき》せられたるがごとくに嚇怒《かくど》する。しかしてこの強者をおさえかの弱者をたすくるがためには、彼はほとんどおのれが身命の危うきを顧みざる人である。古《いにしえ》は曾子《そうし》のいわく「以《もっ》て六尺の孤を託す可《べ》し、以て百里の命を寄す可し、大節に臨んで奪う可からず、君子人か君子人|也《なり》」と。私が少年のころより愛唱しきたったこの一句は、今や計らずも人格化せられて大英国の大宰相ロイド・ジョージとなっている。

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 ロイド・ジョージは偉い。しかし彼を育てたリチャード・ロイドもまた偉い。もしリチャード・ロイドなかりせば、おそらく今日のロイド・ジョージもいなかったであろう。
 大英国の大宰相ロイド・ジョージは、ウェールズなる一村落の小学校長のむすこである。四歳にして父をうしない、赤貧洗うがごとし。この時に当たり一人の寡婦と二人の孤《みなしご》を一手に引き受け、直ちに彼ら一家の急を救ってくれた人は、すなわちロイド・ジョージの母の弟なるリチャード・ロイドその人である。
 リチャード・ロイドも決して家に余財ある人ではなかった。彼はラニスタムドゥウィという村の靴屋《くつや》であった。しかも、このあわれなる靴屋は、自分の姉及びその連れ子を自分の家に引き取り、やせ腕一本でもってその姉を養い、また三人の甥《おい》と姪《めい》(ロイド・ジョージの父がなくなった時、母は妊娠中であった)とを育て上げ、彼自らはついに独身生活を貫いた。私は今日のロイド・ジョージはもって六尺の孤を託すべき底《てい》の人物であると言ったが、彼を育てた叔父《おじ》のリチャード・ロイドその人がまた、実にもって六尺の孤を託すべき底の人物であった。
 ロイド・ジョージ自らその叔父《おじ》の事を語っていう。
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 My uncle never married. He set himself the task of educating the children of his sister as a sacred and supreme
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