、でしはべりけるに、上人《しょうにん》出合い、この道無をば見もやらで、かの金持ちの男をあながちにもてなし、……さてさておぼしめし寄りての御参詣かな、仏法の内いかようの大事にても御尋ね候え、宗門のうちにての事をば残さず申しさずけんとて、まことに焼け鼠《ねずみ》につける狐《きつね》のごとくおどり上がりはしりつつ色をかえ品をかえて馳走《ちそう》なり。この道無かねて金の浮世と存ずれば、すこしも騒がず、ちと用あるていにもてなし門前にいで、小石を銀ならば二まいめほどに包んで懐中し、元の座敷に居なおりつつ上人に打ちむかい、ふところより取り出しさし寄り申しけるは、近きころ秘蔵の孫を一人失い申しけるまことに老いの身の跡にのこり、若木の花のちるを見て、やるかたなき心ざしおぼしめしやらせたまえ、せめて追善のために細心《ほそこころ》ざしさし上げ申すなりとて、一包さし出しはべれば、上人にわかに色をなし、さてさて道無殿は物にかまわぬ一筋なる御人にて、御念仏をも人の聞かぬように御申しある人なりと、常々京都の取り沙汰《ざた》にてはべるよし、一定《いちじょう》誠に思いいらせたまえる後世者《ごせしゃ》にてわたらせおわしますよな、またかようの御人は都広しと申すとも有るまじきなり。やれやれ小僧ども、あの道無殿の御供の人によく酒すすめよ、さてまた道無殿へ一宗の大事にてはべれども、かようの信心者に伝えねば、開山の御心にもそむく事にて候えばとて、念仏安心を即座に伝え申されぬ。この時道無おもいしは、さて金の威光功徳の深さよ、たちまち石を金に似せけるだに、かように人の心のかわりはべる事よと、いよいよありがたく覚えはべる。金もてゆく時は極楽世界も遠からず、貧しき者はたとえば過《あやま》りて極楽に行くとても、元来かねずきの極楽なれば、諸傍輩《しょほうばい》の出合《いであい》あしくなりて追い出されぬべし。これをもて見るに、とかく仏道の大事も金の業《わざ》にてなる。」
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 怪しむをやめよ、当世の人のしきりに利欲にはしることを。二百三十年前すでにこの言をなせし者がある。[#地から1字上げ](十二月十一日)

       十一の四

 わが国でもすでに二百三十年前に『金銀万能丸』が出ている。思うに社会組織そのものがすでに利己心是認の原則を採り、だれでもうっかり他人の利益を図っていると、「自分自身または
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