uいわゆる全体の者の福祉を図ることが各個人の第一の義務であり、また各個人の福祉を図ることが全体の者の唯一の義務である」という主義をば、確《かた》く信じて疑わず、身を処すること一にこの主義のごとくなるを得《う》る人々にとっては,かくのごとき主義をもって計画された社会制度が最上の組織でありうるけれども、利己主義者を組織するに利他主義の社会組織をもってするは、石を包むに薄帛《うすぎぬ》をもってするがごときもので、遠からずして組織そのものが破れて来る。されば戦後の欧州がはたして戦時の組織をそのままに維持しうるや否やは、もちろん一の疑問たるを免れぬ。
 しかしながら、人間はよく境遇を造ると同時に、境遇がまた人間を造る。英独仏等交戦諸国の国民は、国運を賭《と》するの境遇に出会いしがゆえに、たちまち平生の心理を改め、よく献身犠牲の精神を発揮するを得た。それゆえ、平生ならば議会も輿論《よろん》も大反対をなすべき経済組織の大変革が、今日はわけもなく着々と実現されて来た。これは境遇によって一変した人間が、さらにその境遇を一変せしめたのである。しかるに境遇はまた人間を支配するがゆえに、もしこの上戦争が長びき、人々が次第に新たなる経済組織に慣らされて来ると、あるいは戦後にも戦時中の組織がそのまま維持せられるかもしれない。否戦後もしばらくの間は、諸国民とも戦時と同じ程度の臥薪嘗胆《がしんしょうたん》を必要とするであろうから、戦時中の組織はおそらく戦争の終結とともに直ちに全くくずれてしまって、すべてがことごとく元のとおりになるという事はあるまい。少なくとも私はそう考える。それゆえ、私はプレンゲ氏とともに一九一四年はおそらく経済史上において将来一大時期を画する年となるであろうと思う。[#地から1字上げ](十二月八日)

       十一の一

 これを要するに、人と境遇との間には因果の相互的関係がある。すなわち人は境遇を造り、境遇もまた人を造る。しかしながらそのいずれが本《もと》なりやと言えば、境遇は末で人が本である。それゆえ、社会問題の解決についても、私は経済組織の改造という事をば、事の本質上より言えば、根本策中の根本策とはいい得られぬものだというのである。
 しかし私はそう言ったからとて社会の制度組織が個人の精神思想の上に及ぼす影響を無視せんとする者ではない。否むしろ私は人並み一倍、経済の
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