く手に取るやうに話してくれたが、今では記憶がうすれて、以上の程度にしか再現できない。
私はこの話を聞いて、出獄の暁には、ぜひ一度くだんの墓地を訪ねて見たいと思つて居たが、さて出て見ると、それも思ふやうには行かなかつた。
最後に私は難波に対する判決文のことを書いておかう。裁判は傍聴禁止のもとに極秘の裡に行はれたから、裁判長が被告に読み聞かせた判決文もまた極秘に附せられた。もちろん司法部その他の高官たちは、総ての事情を聞き知つたであらうが、事は皇室に関する問題であり、殊に被告の態度には皇室の尊厳を汚すものがあつたので、慎み深い高官たちの中には、誰一人として余計なおしやべりなどする者は居なかつた。幸運な私は、おかげで助かつた。もし此の判決文が新聞紙にでも掲載されようものなら、私はとくの昔し甘粕大尉のやうな人に、何遍殺されてゐるか知れないのだ。
と云ふのは、判決文はごく短いものだが、その一節には、河上肇の「断片」を読みて遂に最後の決意をなし云々といふことが、明記されて居るのである。以前京都帝大の教授をしてゐた頃、親しくしてゐた同僚の一人である××[#「××」に「〔滝川〕」の注記]教授が、司法省に保存してある秘密文書の中から、それを書き抜いて来て、私に見せてくれられたことがある。短いものだから其の全文を写し取つて置けばよかつたのに、今では惜しいことをしたと思ふ。
惜しいと云へば、「断片」の原稿の無くなつたのも残念である。私は改造社に頼んで、一旦印刷所へ廻されて活字の号数などが赤インキで指定してある其の草稿を、送り返して貰つた。私はそれを特別に大事なものに思ひ、余り大事にし過ぎ、家宅捜索など受けるやうな場合に没収されてはと、別置きにして居たものだから、書類整理箱のどの抽出しを調べて見ても、今は見付からない。
五
さて以上の思ひ出を書き了へて、私のつくづく思ふことは、私は実に運の善い男だと云ふことである。
もう今では紙の縁が黄いろくなつてゐる当年の『改造』を出して見ると、「断片」の中には、一九〇四年に内務大臣シピアギン、ウーファ知事ボグダノウ※[#小書き片仮名ヰ、85−3]チ、カールコフ知事オボレンスキー公などの暗殺を計画し指揮した青年テロリスト、グリゴリ・ゲルシュニーが死刑の宣告を受けた場合のことが、最初の方に誌されてゐるが、(このゲルシュニーは一旦死
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