、日本国民が之を機会に、老子の謂はゆる小国寡民の意義の極めて深きを悟るに至れば、今後の日本人は従前に比べ却て遙に仕合せになるものと信じてゐる。元来、外、他民族に向つて暴力武力を用ふる国家は、内、国民(被支配階級)に対してもまた暴力的武力的圧制をなすを常とする。他国を侵略することにより主として利益するものは、少数の支配階級権力階級に止まり、それ以外の一般民衆は、たか/″\そのおこぼれに霑《うるほ》ふに過ぎず、しかも年百年中、圧制政治の下に窒息してゐなければならぬ。それは決して幸福なものではありえないのだ。今や日本は、敗戦の結果、武力的侵略主義を抛棄することを余儀なくされて来たが、それと同時に、早くも国民の自由は、見る/\うちに伸張されんとしてゐる。有り難いことなのだ。もしそれ更に一歩を進め、こゝ二、三年のうちに国を挙げてソヴエット組織にでも移ることが出来たなら、それから四、五年の内には、戦前の生活水準を回復することが出来、その後はまた非常な速度を以て民衆の福祉は向上の一路を辿ることともならう。
私はそれについて、今ではソヴエット聯邦の一部となつてゐるコーカサスを思ひ浮べる。このコーカサスは、欧露と小亜細亜とを繋ぐ喉頸のやうなところで、南はトルコとペルシャに境を接し、東はカスピ海、西は黒海に面してゐる四十余万平方キロの土地で、その面積はほゞ日本の本土と同じであるが、(日本の本土は約三十八万平方キロ、戦前の総面積は六十七万五千平方キロであつた、)住民の数は僅に千二百万で、戦前の日本の総人口一億五百万に比ぶれば、殆ど十分の一に過ぎない。しかもそれが若干の自治州と七つの共和国に分れてゐるのである。小国寡民の地と称せざるを得ない。
しかもこのコーカサスは、第一次世界戦争以前の帝政時代には、到るところに富豪貴族の別荘があり、ツァーの離宮もあつて、富豪や貴族が冬は避寒に、夏は避暑に訪れたところで、クリミヤ地方とともに、ロシヤの楽園と称されてゐる地方である。一般に園芸に適してをり、特に黒海沿岸では、非常にいゝ林檎や梨や桃を産するばかりか、バツーム市附近からは、蜜柑、レモン、橄欖の実などが盛んに産出され、葡萄も亦た沢山取れ、「新鮮な果物を食はうとする者は、必ずコーカサスへ行かなければならない」と称されてゐる。そればかりか、「絵を描かうとする者も、変つた人情風俗に接しようとする者も、
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