りするのか? 城にゐて気の紛れる為事がないと、遠く天涯にゐる肉親のことが思ひ出されてならぬ、すると、ついふら/\と門を出て、村の老人たちが子や孫を可愛がつてゐる様子を見て来るのだ。――かういふのが此の詩の意味であらう。
私たちの手許に一年間預かつてゐた幼けない孫が、迎ひに来た母と姉と一緒に、今日は愈※[#二の字点、1−2−22]上海に向けて立つ。これから私も何遍となく「骨肉の天畔に在るを思ふ」の日があるであらうが、年を取つてゐる私には、「来りて見る野翁の子孫を憐むを」といふ句が、如何にも痛切に感じられる。私は老母とも遠く離れて生活してゐるが、老親を思ふの情と穉孫を愛するの情とは、おのづから別である。私はこの詩の結句を見て、当時作者は孫かさもなくば年少の子を有つて居たのに相違あるまいと思ふ。門を出でて野翁の子孫を憐む(愛撫する)を見ると云ふことは、自ら子孫を愛撫した経験のある人でなければ成し得ない句である。
[#地から1字上げ](昭和十六年十一月十四日稿)
底本:「河上肇全集 21」岩波書店
1984(昭和59)年2月24日発行
初出:「河上肇著作集第9巻」筑摩書房
1964(昭和39)年12月15日
※底本の本文は、京都府立総合資料館蔵の自筆原稿によっています。
※漢詩の白文に旧字を用いる扱いは、底本通りです。
※〔〕書きされた部分は編集部が付したものです。本文内の〔〕は脱字を補ったもの、注記された〔〕は誤りを正したものです。
入力:はまなかひとし
校正:林 幸雄
2008年9月27日作成
2009年12月24日修正
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