識はその根を感情までおろしていなければならない。科学のようなごく客観的に見える知識でさえが、それを組み上げた学者の感情によって多少なり影響されているのを見ることがあるではないか。いわんやそれが人事に密接な関係をもつ思想知識になってくると、なおのことであるといわなければならない。この事実が肯定されるなら、私がクロポトキンやレーニンやについて言ったことは、奇矯《ききょう》に過ぎた言い分を除去して考えるならば、当然また肯定さるべきものであらねばならない。これらの偉大な学者や実際運動家は、その稀有《けう》な想像力と統合力とをもって、資本主義生活の経緯の那辺にあるかを、力強く推定した点においては、実に驚嘆に堪えないものがある。しかしながら彼らの育ち上がった環境は明らかに第四階級のそれではない。ブルジョアの勢いが失墜して、第四階級者が人間生活の責任者として自覚してきた場合に、クロポトキン、マルクス、レーニンらの思想が、その自覚の発展に対して決して障碍《しょうがい》にならないばかりでなく、唯一の指南車でありうると誰がいいきることができるか。今は所有者階級が倒れようとしつつある時代である。第四階級の人々は文化的にある程度までブルジョアジーに妥協し、その妥協の収穫物を武器としてブルジョアジーに当たっている時である。僕の言葉でいうならば第四階級と現在の支配階級との私生児が、一方の親を倒そうとしている時代である。そして一方の親が倒された時には、第四階級という他方の親は、血統の正しからぬ子としてその私生児を倒すであろう。その時になって文化ははじめて真に更新されるのだ。両階級の私生児がいちはやく真の第四階級によって倒されるためには、すなわち真の無階級の世界が闢《ひら》かれるためには、私生児の数および実質が支配階級という親を倒すに必要なだけを限度としなければならない。もしその数なり実質なりが裕《ゆた》かに過ぎたならば、ここに再び新たな容易ならざる階級争闘がひき起こされる憂いが十分に生じてくる。なぜならば私生児の数が多きに過ぎたならば、ここにそれを代表する生活と思想とが生まれ出て、第四階級なる生みの親に対して反駁《はんばく》の勢いを示すであろうから。
そして実際私生児の希望者は続々として現われ出はじめた。第四階級の自覚が高まるに従ってこの傾向はますます増大するだろう。今の所ではまだまだ供給が需要に充《み》たない恨みがある。しかしながら同時に一面には労働運動を純粋に労働者の生活と感情とに基づく純一なものにしようとする気勢が揚りつつあるのもまた疑うべからざる事実である。人はあるいはいうかもしれない。その気勢とても多少の程度における私生児らがより濃厚な支配階級の血を交えた私生児に対する反抗の気勢にすぎないのだと。それはおそらくはそうだろう。それにしてもより稀薄に支配階級の血を伝えた私生児中にかかる気勢が見えはじめたことは、大勢の赴《おもむ》くところを予想せしめるではないか。すなわち私生児の供給がやや邪魔になりかかりつつあるのを語っているのではないか。この実状を眼前にしながら、クロポトキン、マルクス、レーニンらの思想が、第四階級の自覚の発展に対して決して障礙《しょうがい》にならないばかりでなく、唯一の指南車でありうると誰が言いきることができるだろう。だから私は第四階級の思想が「未熟の中にクロポトキンによって発揮せられたとすれば、それはかえって悪い結果であるかもしれない」といったのだった。そして「クロポトキン、マルクスたちのおもな功績はどこにあるかといえば……第四階級以外の階級者に対して、ある観念と覚悟とを与えた点にある……資本王国の大学でも卒業した階級の人々が翫味《がんみ》して自分たちの立場に対して観念の眼を閉じるためであるという点において最も苦しいものだ」といったのだ。
そこで私生児志願者が続々と輩出しそうな今後の形勢に鑑《かんが》みて、僕のようにとてもろくな私生児にはなれそうもないものは、まず観念の眼を閉じて、私の属するブルジョアの人々にもいいかげん観念の眼を閉じたらどうだと訴えようというのだ。絶望の宣言と堺氏がいったのはその点において中《あた》っている。兄は堺氏の考えに対する僕の考えをどう思うだろう。
この手紙も今までにすでに長くなり過ぎたようだ。しかしもう少し我慢してくれたまえ。今度は片山氏の考えについてだ。「いかに『ブルジョアジーの生活に浸潤しきった人間である』にしても、そのために心の髄まで硬化していないかぎり、狐《きつね》のごとき怜悧《れいり》な本能で自分を救おうとすることにのみ急でないかぎり、自分の心の興奮をまで、一定の埓《らち》内に慎ませておけるものであろうか。……この辺の有島氏の考えかたはあまりに論理的、理智的であって、それらの考察を自己の情感の底に温めていない憾《うら》みがある。少なくとも、進んで新生活に参加する力なしとて、退いて旧生活を守ろうとする場合、新生活を否定しないものであるかぎり、そこに自己の心情の矛盾に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないか」と片山氏はあるところで言っている。兄よ、前に述べたところから兄も察するであろうごとく、もし僕に狐のような怜悧な本能があったならば、おそらく第四階級的作品を製造し、第四階級的論文を発表して、みずから第四階級の同情者、理解者をもって任じていたろうと思うよ。相当にぜいたくのできる生活をして、こういう態度に出るほど今の世に居心地のよい座席はちょっとあるまいと思われるから。自己の心情の矛盾に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないかとの氏の詰問には一言もない。僕は氏が希望するほどにそうした心持ちを動かしてはいなかったようだ。ここで僕は氏に「己《おの》れはあえて旧生活を守りながら、進んで新生活の思想に参加せんとする場合、新生活を否定しないものであるかぎり、そこに自己の心情に対して、平らかなりえない心持ちの動くべきではないか」と尋ねてみたいとも思うが、それは少し僭越《せんえつ》過ぎることだろうか。
次に氏は社会主義的思想が第四階級から生まれたもののみでないことを言っているが、今までに出た社会主義思想家と第四階級との関係は僕が前述したとおりだから、重複を厭《いと》うことにする。ただ一言いっておきたいのは僕たちは第四階級というと素朴的に一つの同質な集団だと極める傾向があるが、これはあまりに素朴過ぎると思う。ブルジョア階級と擬称せられる集団の中にも、よく検察してみるとブルジョア風のプロレタリアもいれば、プロレタリア風のブルジョアもいるというように、第四階級も決して全部同質なものでないと僕は信ずるのだ。第四階級をいうならば、ブルジョアジーとの私生児でない第四階級に重心をおいて考えなければ間違うと僕は考えるものだ。そして在来の社会主義的思想は、私生児的第四階級とおもに交渉を持つもので、純粋の第四階級にとっては、あるいは邪魔になる者ではないかと考えうるということを付言しておく。そんな区別をするのは取り越し苦労だ。現在の問題だけを(すでに起こりかかりつつある将来の事実などは度外視して)考えていれば、それでいいのだといわれれば、僕はそういった人と、考えの基礎になる気持ちが違うからしかたがないと答えるほかはない。
それからロシアにおけるプロレタリアの芸術に関する考察が挙げてあるが、これは格別僕の「宣言一つ」と直接関係のあるものではない。これは氏のロシア文学に対する博識を裏書きするだけのものだ。僕が「大観」の一月号に書いた表現主義の芸術に対する感想の方が暗示の点からいうと、あるいは少し立ち勝《まさ》っていはしないかと思っている。
とにかく片山氏の論文も親切なものだと思ってその時は読んだが、それについて何か書いてみようとすると、僕のいわんとするところは案外少ない。もっとも表題が「階級芸術の問題」というので、あながち僕を教えようとする目的からのみ書かれたものでないからであろう。これを要するに氏の僕に言わんとするところは、第四階級者でなくとも、その階級に同情と理解さえあれば、なんらかの意味において貢献ができるであろうに、それを拒む態度を示すのは、臆病《おくびょう》な、安全を庶幾《しょき》する心がけを暴露するものだということに帰着するようだ。僕は臆病でもある。安全も庶幾している。しかし僕自身としては持って生まれた奇妙な潔癖がそれをさせているのだと思う。僕は第四階級が階級一掃の仕事のために立ちつつあるのに深い同情を持たないではいられない。そのためには僕はなるべくその運動が純粋に行なわれんことを希望する。その希望が僕を柄《がら》にもないところに出しゃばらせるのを拒むのだ。ロシアでインテリゲンチャが偉い働きをしたから、日本でもインテリゲンチャが働くのに何が悪いなどの議論も聞くが、そんなことをいう人があったら現在の日本ではたいていはみずから恥ずべきだと僕は思うのだ。ロシアの人たちはすべての所有を賭《と》し、生命を賭して働いたのだそうだ。日本にもそういう人がいたら、その人のみがインテリゲンチャの貢献のいかによきかを説くがいい。それほどの覚悟なしに口の先だけで物をいっているくらいなら、おとなしく私はブルジョアの気分が抜けないから、ブルジョアに対して自分の仕事をしますといっているのが望ましいことに私には見えるのだ。近ごろ少しあることに感じさせられたからついあんな宣言をする気になったのだ。
三上氏が、僕のいったようなことをいう以上は、まず自分の生活をきれいに始末してからいうべきだと説いたのはごもっともで、僕は三上氏の問いに対してへこたれざるをえない。同時に三上氏もその詰問を他人に対して与えた以上は自分の立場についても立つべき所を求めなければならぬともおもう。すでに求め終わっているのなら幸甚である。
A兄
くたびれたろうな。もう僕も饒舌《じょうぜつ》はいいかげんにする。兄は僕が創作ができないのをどうしたというが、あの「宣言一つ」一つを吐き出すまでにもいいかげん胸がつかえていたのでできなかったのだ。僕の生活にも春が来たらあるいは何かできるかもしれない。反対にできないかもしれない。春が来たら花ぐらいは咲きそうなものだとは思っているが。
底本:「惜しみなく愛は奪う」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年1月30日改版初版
1979(昭和54)年4月30日発行改版14版
初出:『我等』大正11年3月
入力:鈴木厚司
1999年2月13日公開
2005年11月20日修正
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