ならぬ。僕は芸術家としてプロレタリアを代表する作品を製作するに適していない。だから当然消滅せねばならぬブルジョアの一人として、そうした覚悟をもってブルジョアに訴えることに自分を用いねばならぬ。これがだいたい僕の主張なのである。僕にとっては、これほど明白な簡単な宣言はないのだ。本当をいうと、僕がもう少し謙遜《けんそん》らしい言葉遣いであの宣言をしたならば、そしてことさら宣言などいうたいそうな表現を用いなかったら、あの一文はもう少し人の同情を牽《ひ》いたかもしれない。しかし僕の気持ちとしては、あれ以上謙遜にも、あれ以上大胆にも物をいうことができなかったのだ。この点においては反感を買おうとも、憐《あわ》れみを受けようとも、そこは僕がまだ至らないのだとして沈黙しているよりいたしかたがない。
 僕の感想文に対してまっ先に抗議を与えられたのは広津和郎氏と中村星湖氏とであったと記憶する。中村氏に対しては格別答弁はしなかったが、広津氏に対してはすぐに答えておいた(東京朝日新聞)。その後になって現われた批評には堺利彦氏と片山伸氏とのがある。また三上於菟吉《みかみおときち》氏も書いておられたが僕はその一部
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