利子にかけて所謂米塩の資を貸すのであります。小作人はこれにそれを借りねばならないのでありますがそのため時としては収穫したものをそのまゝ持つていかれて仕舞ふことがあるのであります。この仲買といふのが中々跋扈してゐます。
 私は明治廿七八年頃から小作人の生活をみてゐますが実に悲惨なものでありまして、そのため私の農場の附近は現在小作権といふものに殆ど値がないのであります。
 さて私は明治三十六年から明治四十年まで亜米利加に留学しました。亜米利加にゐるときクロポトキンの著作などに親しんだことから物の所有といふことに疑問を抱かされたのでありましたが、帰朝するとすぐ英語の教師となつて札幌に赴任いたしました。
 私は父の財産で少しの不自由もせずに修学してきたのですけれどほんとうのところそれで少しも圧迫されることが無かつたかといへばさうでもありませんでした。『一円の金でもそれは人力車夫が三日働かねば得られないものだ』と父に戒められたことを記憶してゐます。
 人は財産があるがために親子の間の愛情は深められるといひますが私は全く反対だと思ふのです。本能としての愛で愛し合つてこそ其愛情が純粋さを保つのであつ
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