卑怯者
有島武郎

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)照り映《は》えていた
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 青黄ろく澄み渡った夕空の地平近い所に、一つ浮いた旗雲には、入り日の桃色が静かに照り映《は》えていた。山の手町の秋のはじめ。
 ひた急ぎに急ぐ彼には、往来を飛びまわる子供たちの群れが小うるさかった。夕餉《ゆうげ》前のわずかな時間を惜しんで、釣瓶落《つるべお》としに暮れてゆく日ざしの下を、彼らはわめきたてる蝙蝠《こうもり》の群れのように、ひらひらと通行人にかけかまいなく飛びちがえていた。まともに突っかかって来る勢いをはずすために、彼は急に歩行をとどめねばならなかったので、幾度も思わず上体を前に泳がせた。子供は、よけてもらったのを感じもしない風で、彼の方には見向きもせず、追って来る子供にばかり気を取られながら、彼の足許から遠ざかって行った。そのことごとく利己的な、自分よがりなわがままな仕打ちが、その時の彼にはことさら憎々しく思えた。彼はこうしたやんちゃ者の渦巻《うずまき》の間を、言葉どおりに縫うように歩きながら、しきりに急いだ。
 眼ざして来た家から一町ほどの手前まで来た時、彼は
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